以前から私は、有職造花の中で最も華やかなのは『行の薬玉』ではないかと思っているのです。
それ故に下品さや通俗さと紙一重でもあるでしょうし、制作する者のセンスが最も問われてしまう有職造花でもあるでしょう。とりわけ極彩色に染めた花が使われる上に、土台になる六角形の板には赤い絹が貼られるのですから、通俗なセンスで下品に流れたりしたら救いようがありません。
『行の薬玉』に使われるのは四季の花で、春→桜・牡丹・菖蒲,夏→卯の花,秋→紅葉・菊,冬→水仙という七種類なのですが、色彩も紫・白・赤・黄・緑の五色が基本にされていますから、とりわけ絢爛に装飾的であろうとも、陰陽道に則った邪気祓いとしての懸物であることに疑いようがありません。
私の制作はオリジナルのものが多く、結局自分が作りたいと思った物を有職造花の技法で好きなように作っているというに過ぎないのでしょうけれど、そうであるほど根本的な有職造花の技法や美感・美意識といったものの再確認として、制作の合間合間にこうした伝統的な有職造花制作に立ち返る必要を痛感してしまうのです。
一時代前のことになりましたが、ビルギット・ニルソンというスウェーデンのソプラノは、ブリュンヒルデやイゾルデといったワーグナーのヒロインやトゥーランドット姫といった超ドラマティックな役の第一人者として名声を博していたのです。
そうしたドラマティックな役柄に与えられた旋律は、オーケストラの重厚な和音を圧倒するほどの強さと声量を誇れるように作曲されていますから、小鳥が囀るような高音域での華やかで軽やかな旋律とはまるで反対で、当然そうした歌い回しや音域に長ける必要もなかったのです。
彼女はしかし、そうした重い役ばかりを演じ続けることによって声が太く重苦しくなり過ぎないようにと、公演後の楽屋でだったか、華やかなコロラトゥーラに超高音が含まれる『夜の女王のアリア』を歌って声帯を調整していたという話を読んだことがありましたが、私もオリジナルの有職造花制作の合間に、桜橘とか『草の薬玉』とか『行の薬玉』のような、伝統的で代表的な有職造花の制作に戻ってみるのです。
ちょうど依頼の入った桜立木の制作もありましたので、この一月はクラシカルな有職造花ばかり作っていたのでしたが、種類こそ違おうと同じ人間のすることですから、それほど変わることもないように思います。そもそも、何度となく作っている桜の鏝当て一つ取っても、同じ事を繰り返すというのではなく、その時々で工夫してみているのですから、何時まで経とうが試行錯誤の域を出ていないというに過ぎないでしょう。
今度の『行の薬玉』は、六角の台に置く籐の輪を中央にではなく下側に置いて、地上に咲く花と高い木に咲く花とを若干隔ててみてあるのです。『行の薬玉』に自然界の立体を与えるには相応しい方法だったように思いますが、鏝当ての丸みが温かく優しい表情に仕上がった今回の水仙も、今回のは上手く出来たほうかもしれません。
その反面、卯の花はいつまで経っても上手く出来ません。やはり、実際に初夏の山に咲く卯の花を見る機会が無くなっていることに、根本的な要因があるように思います。有職造花のように、様式美の装飾的な造花であろうと、自然を手本に出来ないことは致命的なのです。自然の成り立ちが見て取れない造花など、私には意味を持ちません。
そうこうしているうちに一月も最後の日になってしまいました。数年に一度の異常な寒波とのことながらさほどのことも無く、厳冬を待ちわびていた私にはおよそ欲求が満たされないままです。
こんなことを言ったら、それこそ豪雪でうんざりされているお気に入りの温泉旅館の家族には顰蹙を買うばかりなのですが、今月中にもう一度強い寒波が奥会津の空を覆って、今度こそ吹雪に遭遇出来ないものかと、甚だ身勝手な期待を密かに深めているのです。