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■ 近頃のこと

2018/02/03

成田山境内下田商店の『宝船』

正月となると、成田山境内に組まれた際物屋の屋台に、酉の市の熊手とも違った大きな縁起飾りが何とも賑やかに吊されるのです。遙かな昔となった小学校低学年の頃には既に、私はその縁起飾りにすっかり目を奪われていたのでした。
寸胴の中太に捻った注連縄のようなものを湾曲させて、あたかも船のような形にした藁の胴体に、熊手に挿されているのと同じような千両箱とか小判とか鶴亀、更にはめ組の纏(まとい)といった縁起物のパーツをこれでもかというほど沢山挿して、それを竹棒の先端にぶら下げたものなのですが、リリアンのような真っ黄色の飾り紐まで無数に垂れ下げた独特に通俗な華やかさといったら、今でも思い出すなり小躍りするような心持ちが甦るのです。それはどうやら『宝船』と呼ばれる縁起飾りなのでした。幸を掻き集める熊手に対して、宝船によって幸を運んでくるというのだそうです。
『宝船』には、細い竹の棒に先ずセルロイドの赤い鯛を船に見立てた宝船を下げ、恵比寿大黒の入った枡・小判・千両箱・ダルマ・サイコロなどの他、薄いピンクのセルロイドを型抜きした桜の花やらを一列にぶら下げた、ささやかで安価な物もあるのですが、私は鯉幟と同じにそうしたものは大きければ大きいものほど好きで、小さなものならば無くても良かったのです。
およそ子供に持ち運べるような規模ではない、大きな注連縄製の宝船が太い竿竹の先端にぶら下げられ、屋台の合間にごった返す参拝客を見下ろしているのを遠目にして、いったい誰があれを買うんだろうとか、いったいどこに飾るんだろうとか、そもそもあれはいったい何なんだろうという不思議さと買えない無念さを抱えながら、惚れ惚れと切なく眺めていたのです。
それから半世紀ほども長い時間を経た一昨年、人形研究家の林直輝さんとの話しの中でその飾り物のことに触れると、私とは随分世代の違う林さんも、それこそ幼少のみぎりから惹かれ続けていたのだとか。上には上があるものだと感心するやら呆れるやら。そんな二人が連れ立って成田山の堂庭に繰り出したのは一昨年の残暑の頃のことでした。
正月でもなし、参拝客すらまばらな時期にもちろんそんな屋台が出ているわけもなく、仕方なしに土産物屋のおばさんに尋ねてみれば、あの屋台は自分の店のものだし、小さなのは私が作っているのだと仰るではありませんか。しかもその小さなのが店の奥に置かれていたのです。
辿り着いた先は、下田商店というのでした。縁というか執念というか、想い続けると叶うものなのでしょう。研究者である林さんは、サンプルとしてコレクションとして、早速それをいくつか買って自宅に届けて貰う算段まで済ませ、翌年の正月には必ず見学に来るからとも約束出来たのです。
その年の暮れ、屋台が組まれた頃に堂庭に行ってみると、宝船の屋台は下田さんの他にもう一つ出ているのです。隣り合わせですから比較に適していて、下田さんの宝船にこそ際物の縁起飾りならではの専門性を残していると気付くのに時間など要らなかったのです。大きな宝船をスマホに収めさせて貰ったのですが、それから折りに付けその画像を眺めているうち、やはり今のうちに手にしておかなかったら、この完成度は早晩時代に消滅してしまうだろうと思うばかりになったのです。それでつい先日下田さんの屋台を訪れ、まだ本決まりではないけれど、やはり大きな宝船が欲しいのだと雑談しているうちに自分も手許に欲しくなって、小さなのを買ってしまったのです。
私は自分自身がものつくりだからでしょうけれど、こうしたものを買うということが全くという程ありません。そもそも気に入るということがないのです。しかし、この『宝船』は決して私の手に負える物ではないのです。
家に持ち帰った宝船を取りあえず猫の爪研ぎに挿しておいたのですが、コタツに座ってふと見れば、船も名札も千両箱もダルマも小判も、みんな揃ってこちらを向いているのではありませんか。林さんなど、撮影の際にパーツがカメラを向いてくれない苦労を語っていましたから何とも不思議で、こんな芸当が出来るものかとすっかり感心してしまったのです。
翌々日、大きな宝船を買う算段に屋台を訪れたとき、どうしたら全部のパーツを正面に向かすことが出来るのかと聞いてみれば、『そんなこと考えもしなかった。』とキョトンとした顔をされたのです。単なる偶然の産物だったようです。
こういうところも際物の醍醐味かと、何だかひたすら満足してしまったのでした。

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