何気なく、手近にあった骨董のカタログをはぐっていたら、江戸後期にとりわけ猿の名手として名高かったという森徂仙(1747~1821)という画家の掛け軸が出てきて、そのモチーフにとても興味を惹かれてしまったのです。
渓谷に牡丹が咲き、ほとばしる水が小さな滝となって落ちる岩の上には猿が居て、振り向くように仰いでいる目の先にホトトギスが飛び立っているのです。
渓谷の岩場に牡丹が咲いているというのも妙な話なのですが、それはともかくとして『渓谷』『猿』『ホトトギス』という組み合わせなど考えもしなかったものですから、それを平薬にしたら面白いだろうと、即座に惹かれてしまったのです。
絵のままを再現するには渓谷の描写も漠然としたものでしかなく、牡丹よりも何種類かの山躑躅(ヤマツツジ)にした方が相応しいだろうとも思ったり、ともかくその大気をこそ平薬に載せたかったのです。
猿は空を見上げる一匹だけにして彫り上げ、それから岩を彫ったのですが、渓谷にほとばしる清流も木彫り彩色するつもりが、絹で作る有職造花のことだし、いっそ光沢のある絹サテンを水流に見立てたらと思い立ち、襞を施して岩の間に挟み込んでみたのです。
さて、私はどうもツツジを作るのが苦手なのです。例えば『真の薬玉』のような大きなツツジ(皐月)だと、一枚ずつ型で抜いた花弁に鏝当てを施し、五枚を貼り合わせて一花を完成させるのですが、花弁を連ねた形の抜き型によってのものだと、どうも鏝当てがスッキリ決まらないのです。それで嫌になってしまって、ツツジの平薬ばかりは、ここ十数年避けてきたのです。
以前、ツツジと似たような形の『ハコネウツギ』を作った時は、わざわざ小さな花弁を一枚ずつ手で切り出し、その一枚ずつに鏝当てしてから貼り合わせて一花としたのですが、どんなに小さい花であろうと、その方法ならば上手く出来ると思い得た体験だったものですから、ツツジもそれでなら何とかなるだろうと、やっと作る気持ちになったのです。
山桜と猿とを組み合わせた平薬『御幣』でもそうなのですが、実際の比率からすると、花の大きさはとても大きなものになってしまっているのです。猿の背丈を10㎝にした時の桜といったら、一花の大きさなど3㎜にも満たなくなってしまうのです。
しかし、そもそもそれを平面の目眩ましや様式というもので、それらしくまとめて見せるのが有職造花という飾り物の醍醐味なのかもしれません。絵巻物にみる遠近法の歪め方、金色の雲によって距離やら時間の相違を隣り合わせにしてしまう屏風絵の『嘘』というものと同じようなものでしょう。
直径30cmの輪の中に、渓谷の広い空間と奥行きを感じさせながら、その中に一花3㎝にもなるツツジを置いて、それを大きく見させない。そんな『嘘』を特権とすらして謳歌しながら、ホトトギスを五月の天空に翻らせ、猿に仰ぎ見させられたらと願うのです。