子供仕立ての三番叟人形の後ろに、松を描いた桐板を置いて、能舞台のように飾りたいとの依頼がありました。
鏡板というのだそうですが、私も随分前に人形の能舞台を作ったことがあり、その時は焼失した江戸城にあったという大きな能舞台の鏡板を推測した図案によって描いたのですが、とにかく松葉が難しかったのです。
鏡板をインターネットで調べてみれば、何とまぁ様々あるものです。中でも堂本印象の描いた松など、さすがに品格も高く、スッキリと清廉なものなのですが、京都の日本画家ながら抽象画に向かった方でしたから、鏡板の松もまさにその通りなのです。随分思いきったプランだと思いますし、良く能楽堂のようなところが堂本印象に白羽の矢を立てられたものだと思わざるを得ません。
しかし以前、若い頃から能に親しんで来られた方が、鏡板の松など案外どんな風に描かれていようがどうでもよいもので、例えば大輪のバラが描かれていたところで、殆ど気にならないだろうと話されていたのです。
私は、能というものを一度も観たことがないのでまるで分からないのですが、依頼で描く能の鏡板なのですから、狩野派の襖絵に描かれているような松にしておけば無難なのでしょうけれど、私は狩野派の絵画にまるで魅力を感じたことがありません。狩野永徳の獅子でさえ、その筆遣い一つ取っても、何であんなに持て囃されるのかまるで理解出来ないのです。老松に鷹が止まっている決まりものの絵など、ただでさえ工房の量産なのでしょうし、どこに見るべきところがあるのかサッパリ分かりません。羅漢とか仏教をモチーフにされたものに至っては、グロテスクの境地としか思えず、色にもデフォルメされた表情や着物の襞にもひたすら閉口するばかりなのです。
私にとって松の描写で感嘆してしまうのは、山元春挙の松なのです。よくよく得意だったとみえて、屏風にも沢山描いているようですが、水と松を取り合わせた光景など、春挙ならば何も見ないでも簡単に描いてのけたのでしょう。それがマンネリに見えようとも、松葉の描き方そのものには感嘆するばかりなのです。何しろ、簡潔にリズミカルに描かれた松葉の繁りから、末端の枝がどうなっているのかが分かるのです。それが描けてしまうのは、きっと日常的な観察と写生の賜物なのでしょうから、春挙の松葉を手本にしたところで、似たようなものにもなってはくれません。
絵を描くのが苦手で嫌いな私が絵を描くのは、依頼を断れなかったことの他に、優れた画家の手腕の解明への興味に突き動かされてのことが多いのです。今回の松では久々に嬉々として夜更かしを堪能できたのですが、いつもながら山元春挙さんにも遥かな置いてきぼりを食らってしまったのでした。
描き上がる過程だけは珍しいかと思いますので、お目にかけてみます。