昨年暮れに依頼されていた平薬制作を抱えていたものの、掛かりきりにならざるを得なかった要件に、2ヶ月も阻まれていたのです。
それが何とか済んだものの、後に残ってしまった気持ちから直ぐに制作に入る気にもなれず、それを払拭するように、小さな檜扇を描いたり、それに付ける花やら作ったりしていたのです。
そうするうちにやっと、淡い花色の山藤の平薬をとの依頼を叶えるべく、久しぶりの平薬制作に掛かれたのですが、一度エンジンが掛かってしまえば、後は初めてのことでもありませんから、いつもながら自分でもどんな形に出来上がるのか予想出来ないまま、単調で退屈しがちなパーツ作りすらも楽しんで、せっせと造り進められました。
いつもの思うのですが、カメラというのは遠近を捉えられませんから、平薬のように平面に構成するものであっても、立体を意識して微妙な距離感を演出しているのに、撮影された画像といったら、平面にしか見えないもので、実物の工夫や苦心、それによって引き出せた情緒などというようなものが、さほど写し出されないということがままあります。
この『山藤』もそんな一つで、枝に巻き付いた蔓の先に、幾つもの花房を垂らしているのですが、とりわけ葉の茂みなど雑然としか見えず、残念でならないのです。
『山藤』が完成して直ぐに、別の意図で造り置いてあった、花の直径が5㎝程の牡丹の立木3本を、平薬に仕立てて欲しいとの依頼が入り、直ぐに造り始めました。
さすがに3本では平薬に構成出来なかったので、薄桃色の牡丹やらを新たに6花ほど造り加えて、何とかまとめたのです。
牡丹ばかりのことで、どうしても色彩が単調になりましたし、依頼された方から、何か昆虫を飛ばせないかとの要望もありましたから、黄蝶を二頭飛ばしたのです。牡丹の花からしたら大き過ぎるのですが、その一色によって、長閑な春の光景ながら、華やかな平薬に仕上がったように思います。
今年の冬は殊更暖かく、毎朝の掃除でも、裸足の指が凍えるような朝は殆どありません。未だにちらつく雪どころか、裏庭に日がな一日解けない氷すら見られません。
厳冬の朝の緊張を、凍えながら愛でる。それをずっと待ち望んでいた私は、歌劇『トゥーランドット』で姫君が忌々しく言い放つ『La speranza che delude semple!(希望はいつも裏切るもの)』という台詞を思いながら、恨めしくいるのです。