鮎の平薬を作っている時、彩色の参考に福田平八郎の絵を当たっていて、久しぶりに『雨』という作品を見たのです。
大きな画面は瓦屋根のだけで、そこに落ち始めた雨粒を描いた日本画なのですが、その着眼のセンスと表現には、またつくづく感心させられたのでした。
毎年冬のうちから、納屋の屋根に古米を撒いて、雀や鳩に啄んでもらっているのですが、雀といったら片時も警戒心を解かず、ほんの少し木の葉が揺れても飛び立ってしまいます。
しかし、直ぐに戻って来ては、鳩と並んで啄んだり、またいきなりどこかに飛んでいってしまったりするのを見ていると、そもそも雀は集中力散漫な落ち着きのない性格で、そんなだからやたらに飛び立つのだろうと思えて来るのです。
すると忙しない繰り返しも、困ったもんだと微笑ましく見ていられます。古米を撒きに庭に出ると、納屋の屋根にいた雀は直ちに飛び立つものの、隣家の瓦屋根に移るだけのこと。鬼瓦の陰から首を傾げてこちらを伺っていたりするのが殊更可愛らしいのです。
そんなこんな、リンの看護の合間にボンヤリと外を眺めていて、ふと瓦屋根と雀の平薬が作れないかと思い付いたのでしたが、福田平八郎の絵に背中を押されたのです。
とは言うものの、とにかく瓦は四角。その四角を連ねたのが瓦屋根なのですから、それを直径30㎝の輪の中にどうやって収めるかが問題なのです。
絵画と違って平薬は立体ですから、角度は最低限にするとしても、屋根は平薬の手前にせり出させなくてはなりません。
視角では手前の方が大きく見えますから、そこで大まかな円に切った厚紙のてっぺんを籐の輪の上部に固定し、手前を必要な角度まで持ち上げてから、2m程離れて見た位置で、平薬の輪に縁取りされて見えるようになるまで、厚紙を切り整えました。目の錯覚を利用するのです。
そうして寸法と形を割り出した厚紙を土台に、1枚ずつ紙で作っておいた瓦を敷き詰めたのです。もちろん端の瓦は、型紙の輪郭通りに円く切ってしまいます。
瓦屋根の彩色は、はじめ梅雨入りの日に設定して、福田平八郎の『雨』のように、降り始めた雨をポツンポツンと描くつもりだったのです。その上で、例えば青梅の枝を手前に繁らせるとか、有職造花に出番を与えられたらと目論んだのですが、ただでさえ平薬にするには難がある瓦屋根のこと。その計画は無理なのでした。
そこで思い付いたのが、落花なのです。瓦屋根の近くに咲く桜が満開を過ぎ、風に飛ばされた花びらが屋根瓦に散ったという設定です。そこに忙しない雀を二羽置くことにもしたのです。
そんなこんな、目の錯覚を利用するとか、屋根瓦自体の構造も葺き方も興味深かったり、桜の花びらを配置するのに殊更苦心したりと、あれやこれや結構面白く制作出来たのです。
入れ替わり立ち替わり、今日も雀が賑やかなことです。ちょうど一俵の古米が底を尽きようとしています。
しかし、古米などに目もくれなくなるのももう直ぐでしょう。やっと食べ物に溢れる季節の到来です。
去年、リンを肩に担いで一緒に眺めた花水木が、今年は幾らも花を付けません。
リンのいない庭に、藤も花を終えました。