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■ 近頃のこと

2019/05/20

祝言と奈良蓬萊と肴台と

メールフォームから、嶋台を作れないかという問い合わせが入ったのです。
今まで何度かそうした問い合わせはあったのですが、皆雛人形用で、この若い二人はというと自分達の婚礼に使いたいのだと仰るのです。しかも、結婚式場での一般的な結婚式でなしに、床の間のある場所で『祝言』を挙げたいのだというのですから、今時どれだけ珍しいことでしょう。
いつの間にやら、もう半世紀以上も前のことになってしまいましたが、昔は婚礼は自宅でしたものでした。結婚式などとは呼ばずに、祝言と言ったのです。
どこどこの家で祝言だというと、子供と老人は連れ立ってその家に見に行きました。祝言が行われている座敷の障子は空け放たれるものでしたから、縁側から披露宴が堂々と見物出来たのです。随分角隠しが下げられているところを見ると、大方器量が良くないんだろうとか、あの親父はいつも酔っぱらってみっともないだとか、あれこれ品評していたものです。
恐らく、あれが祖母と祝言を見に行った最後だったろうと記憶するその時のお嫁さんが、もう80歳を過ぎたというのですから、いつの間にやら随分時が過ぎたものです。そのお嫁さんが、前に並ぶお膳に全く手を付けないのを不思議に思って、修学前の私がそれを祖母に尋ねると、祖母は『お嫁さんは、ここでは食べないものなんだよ。』と言ったように覚えています。茶碗のご飯は何だろうと聞いたら、鷄の混ぜご飯だとも答えられたように思い出します。
さて、結納と祝言のために嶋台を誂えると言っても、実際の婚儀で使えるような規模の嶋台となったら、洲浜台だけでも5、6万はしてしまうでしょう。
だからと雛飾りで使うようなミニチュアの嶋台をわざわざ誂えたところで、本物の床の間に置いて映える筈もありませんから、そこで『婚礼の有職造花』に載せている嶋台②で良ければお貸しするので、それを使われたらと提案したのです。無事に結納が済んで、喜んで頂きました。
祝言は来年早々とか。その際にはまた嶋台が使われるのですが、出来る限り昔のしきたりを踏まえた祝言をとなれば、何を置いてもやはり床の間には奈良蓬萊を据え置かなければなりません。
床の間に奈良蓬萊を置くことで、婚儀の場とイザナギ・イザナミに道が繋がり、その途中に捧げた酒を押し頂くことによって、初めて三三九度が成り立ち、子孫繁栄とか偕老同穴とかにあやかれるというのですが、奈良蓬萊ばかりはあまりにも規模が大きく、運搬の問題ばかりか、私が組み立てに行かなくてはなりませんし、祝言が終わるや否や撤収しなければならないのです。
そんなこんな、実現には幾らなんでも無理があるでしょうから、せめて3種の肴台(さかなだい)だけでも置かせてあげたいと造り始めていたのです。
ずっと以前、国立歴史民俗博物館に納めて以来の肴台制作なのですが、以前のものは雛形に近いものでしたから、造り直すのにもちょうど良い機会なのでした。
肴台とは、嫁の前に置く『富貴台(ふきのだい)』、婿の前に置く『押台(おさえだい)』、嫁を婚家に招き入れる役目の女性の前に置く『控台(ひかえだい)』の3種で、有職造花での蕗、稲穂、沢瀉(里芋や河骨も有)は、それぞれの台の決まりものなのです。
婿用の押台に、鶺鴒(セキレイ)を二羽加えたものを、特に『鶺鴒台』と呼びますが、勿論古事記にあるイザナギ・イザナミの逸話による夫婦和合の象徴です。
そもそも、語呂合わせの富貴台はともかく、何故押台が稲穂で、控台が沢瀉なのか、私は未だに突き止められないのです。何れにせよ、何のかのもっともらしい能書きを並べたところで、所詮は婚儀の場の室内装飾なのでしょうから、この押台にも木彫り彩色の鶺鴒を加えたのです。
しかしこの肴台、三宝の1辺が30㎝で、造花の先端まで60㎝もある大きなものですから、これが祝言の場に3台並んだらさぞ壮観なことでしょうけれど、さてどうやってこれを届けようかと、何時もながら心配は、梱包と運送ばかりになってしまうのです。

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