以前『節供の有職造花』として、京都国立博物館所蔵の『四季景物文様振袖』に描かれている五節句飾りの一つで、人日の掛け物と見受けられる『松竹梅の薬玉』を復元したのです。
実際にそんな物があったのかどうか分からない珍しい薬玉図なのですが、出来るだけ忠実に復元してみれば、それがなかなか品良く仕上がったのです。
先日、それに目を止めて頂いた方に引き取られたのですが、そうして私の手を離れるなり直ぐ、正月の玄関飾りにしたいと仰る方から、この薬玉の制作依頼が舞い込んだのです。ただ、三色の薬玉をあまり好まれないのでしょう、それを椿の花に替えられないかとの依頼でもありました。
私の作るものは全て一品物ですから、そうした変更が、私の考える有職造花の本質から著しく逸脱しない範疇ならば、どうにでも融通が利くのです。
家の裏は竹山なのですが、陽当たりが良いためか、早くに梅と椿が咲き始めるのです。繁った笹の葉の合間から、それがチラホラ見え出すと、春はもうこんなに近くまで来ていたんだなぁと毎年思います。
私は数年前から、その光景を平薬にしたいと願い続けて居ました。ですからその変更依頼は、竹の向こうに咲く白梅と椿の組み合わせのみならず、松に椿という組み合わせを極めて相性の良い有職造花として、既に幾つかの平薬にして来ている私には好都合なばかり。薬玉無しの薬玉になるとはいうものの、渡りに船とも言うべき依頼なのでした。
本来邪気祓いの意図である薬玉飾りなのですから、それから薬玉を取ってしまうのは、あたかも麦とろから麦飯かとろろを取るようなものなのでしょうけれど、陰陽道の原色にされる薬玉を嫌う方というのは決して珍しいことでもないのです。
『復元の有職造花』に、藤原定家が『拾遺愚草』で詠んだ十二ヶ月の花の歌を平薬にする図案を復元したものがありますが、それに薬玉が付けられていないものが多いのは、そもそも復元を持ち掛けられた方が薬玉嫌いだったからなのです。
私などは、鮮やかな緑の柏の葉で囲われ、七宝編みで包まれた原色の薬玉こそ、有職造花の象徴のように感じて来たのですが、好まれない方々の気持ちも分からないわけではないのです。季節の風景を切り取ったような創作平薬では、薬玉が邪魔にされても仕方なく、またそれが薬玉などとうに過去のものとした、時代の変遷に思います。
さて依頼が正月の玄関飾りというので、とりわけ笹をふんだんに使って、本体を60㎝×40㎝の大振りに仕立てました。椿も梅も、紅白に薄桃の三色。幾重にも重なった笹の下、僅かに覗けるように紅梅二輪を忍ばせたりして、春の到来を暗示させるような遊び心も交えました。今頃正月飾りとは随分気の早い制作でしたが、相変わらず制作対象に惹かれたら、季節も何もあったものではありません。
リンは6月9日に四十九日を迎えます。
いつの間にか梅雨入りしたのだとか。早朝、リンの墓参の庭に、紫陽花が淡い黄緑色の花を咲かせ始めていました。昨夜の雨に濡れた先端の花弁には、少しばかり薄紫が見えます。こんな時期の紫陽花の美しさに、私はすっかり魅了されてしまいましたが、十数年ぶりに紫陽花を作ることになるかもしれませんし、作らないかもしれません。