『大木素十丸平コレクション』が始まってから、今年で28年を迎えます。その内の1つ『二番親王尺三寸揃』は、私のコレクションでも、色々な意味で最も代表的なものなのですが、最初は19人揃だったのです。
そのうち官女が5人増えるなどして、とうとう26人にまで膨れ上がっていました。
後から加わった雛の中には、五節舞姫や姨捨、在原業平など、最初の私には考えもしなかったものも含まれる事になったのですが、それは丸平さんから十二世面庄の優れた頭が発見されるなり、それに相応しい雛に仕立てて、揃い物の一員とするという願望を叶えられたからなのです。
そうした過程を経て、今回誂えた官女が、この組物の最後の1人となって、とうとう『二番親王尺三寸二十七人揃』で完結したのですが、それは同時に、私の丸平コレクションの締めくくりを飾るものにもなりました。その27人目は、最もシンプルな白官女なのです。
丸平さんで最初に誂えたのは、六番親王七寸二十一揃でしたが、その五人官女の中央は、最初シンプルな白官でした。
当時の私は、自分からその組み合わせを望んだにもかかわらず、刺繍も施されない白官が地味過ぎて物足りなく思ってしまい、後から袿単に着せ直しして貰ったという経緯があったのです。
そもそも刺繍を施した2人の尺二寸小袖官女といったら、最初は3人の尺三寸袿単(うちきひとえ)官女と共に五人官女にされていた物で、後から明治時代に制作された雛頭の出現によって、新たに袿単官女を仕立てて五人官女としたため、余ってしまった二人なのです。仕方なく、それぞれに銚子を持たせて、二番親王と共に最上段に飾るようにしたため、総勢26人に仕上がっていたのです。
ところが、やはり総人数を奇数にしたいとする考えが消せないでいるところに、丸平さんに残っていた、古く汚れた雑兵頭が巡り回って来たのです。何しろ改作を失敗したところで、誰の損失にもならないほど、不細工で使い用のない頭でしたから、躊躇はなく胡粉で塗り直し、瞼も置き上げするなど大胆な改作をしてみたら、何と眉なしの官女として、すこぶる相応しい頭に出来上がってしまったのです。
中途半端な存在だった2人の官女に年増を加えれば、定番の三人官女にはなる、総人数も奇数に収まると、図らずも組物の完結まで迎えてしまうことになったのです。
さて私には、以前から理想的な官女像がありました。紐を右肩に結んで、ざっぱりと袴を引き摺った、大腰袴(おおごしのはかま)姿なのです。
そこで、通常通りに着付けられた袴の紐をほどいて肩に結んでみれば、さすがに丸平さんの生地と仕立てというものなのでしょう、不自然さもなく仕上がってしまいました。白と赤のコントラストは威厳まで醸し出し、何と格調高く美しいことか。これならば、二番親王に添わせて、何ら遜色もありません。
もっとも、人形研究家の友人が指摘する通り、この改作が生きるのは、やはりこのおすべらかしだからでしょう。
来春は、家に八畳の雛段を設えて、二番親王尺三寸二十七人揃を飾ろうと予定しています。死ぬまでに一度は、恐らく類を見ない大きな組物を自宅で飾ってみたいという夢の実現なのです。