あれこれ、悶々と煩雑に過ごしているうち、既に冬至が目前になっていました。
庭のそこかしこに僅かずつある残菊も、霜焼けが加わった枯葉の中に、かつての花の色を残った花びらに留めたまま、寒さに抗うどころか、身を委ねるように未だ咲き続けています。その風情といったら、やはり枯野に移る前の時期だけに限定された、滅びの美とでもいうものではないかと、しみじみ見渡したりしているのです。
真冬にも緑を繁らせる竹ですが、季節によって葉の色は随分違って見えるものです。それはともかく種類となれば、枝の付き方や葉の繁り方から、どの竹がどうでどの竹がこうだなどと調べたら、きっとその分くらいは知れるものなのでしょうけれど、私には覚え書き程度とはいうものの、簡単なデッサンまで残していながら、長い間一度も作れないまま、魅了され続けている竹があったのです。
その食堂は、3.11地震の被害を受けてから数年の放置後にやっと壊されて、今はもう影も形もないのですが、客席からガラス越しに眺められる外に設えられた細長いスペースに、料亭風とでもいうのか、何種類かの竹が植えられていたのです。その一番端にあった細い竹が、私には取り分け美しく、そこを通る度に惚れ惚れ眺めていたのです。
美しさの要因は、長短の葉を密集させた小枝の付き方なのですが、その構造や配置のリズムが、分かるようでなかなか把握出来なかったのです。七夕の平薬は何度も作ったことがあって、笹は通常の孟宗竹にしていたのですが、その細竹を目にする度に、短冊を下げるにはこの方がよほど美しいだろうと思い続けて来たのです。
珍しく、銀杏の平薬二つに加え、更に三つもの紅梅白梅の平薬を仕上げなければならずにいたのですが、最後の一つを作っている時から、何故かこれが済んだら、竹山に紅白の椿が咲く景色の平薬を作ろうと考え始めていたのです。それに使う竹をこそ、今度こそ私が惹かれ続けていた細竹にしようと決めていたのです。
藤の花房の場合がそうなのですが、絹を巻いた針金で組み立てられる、柔軟性のない有職造花での花房では、実際の山藤などのように、花々を密集させて咲かせることが出来ません。左右が邪魔になって、それぞれを真っ直ぐに垂らすことが出来ないからなのです。
竹の葉もまた然りで、本物のように葉が重なっての塊など、なかなか再現出来るものではありません。それでも何とか、デッサンだけを頼みに仕上げたパーツでしたが、何せツンツンと茂る竹の葉のこと。制作の手順から、最初に竹を植えなければならないため、その上から椿の花を咲かせるのには、予想通りに難儀しました。竹山の茂みに見え隠れする椿の花という光景には、やはり通常の孟宗竹の方が相応しかったように思いますが、とにもかくにも想い続けた竹を仕上げられたことには、出来不出来など二の次に、格別なものがあったのです。
さてどうしたわけか、今年は寒さが身に凍みます。厳冬でも早朝六時過ぎには起きて、寒気の痛さすら素足に心地良く、大好きな座敷箒での掃き掃除を楽しんでいた去年までとはまるで違い、七時半過ぎまでも布団に留まっている怠け方なのです。あっという間に陽が落ちてしまう、この時期こその貴重な陽射しだというのに、そんな朝寝などしているものですから、直ぐに薄暗くなってしまうように思えて、一日を無駄遣いで終わらせてばかりいる気持ちになるのです。
しかし、やっと拘束のない時間に身を置ける日々に至れたのですから、それを謳歌したところで罰も当たらないでしょう。
冬至は22日なのだとか。今年こそ昔ながらの沢庵を漬けてみようとの意気込みも、朝寝坊の彼方に消え失せた感がありますが、人生は下り坂が最高とか。なるほどという実感を噛み締めたりしながら、出来上がった平薬を眺めていたりと、一日がやたらに短く感じる今日も、呑気にばかりしていたのです。