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■ 近頃のこと

2020/01/02

白い道と椿の下花

寿限無という落語に、『五劫の擦り切れ』という言葉が出てきます。五劫とは『1劫』の5倍のことで、そもそも昔の中国の時間の単位なのだそうです。

あるところに10㎞四方の巨岩があって、そこに100年に一度仙人が降りて来ては、薄衣(うすぎぬ)の袖を振って、たった1回だけ巨岩を撫でる。それを繰り返して、その巨岩がとうとう擦り切れて無くなるまでの時間を『1劫』というのだとか。

中国というのは、あれだけの広さの上に、昔何十万だか何百万という兵を派遣するのに、その兵糧をどう工面するのかと問われるなり、『どこに行こうが、人はいるだろう。』とサラリと答えたという逸話ほどの単位が当たり前だからなのか、例えば『白髪三千丈』とかいうように、数の単位やらがやたらに大袈裟なのです。

それにしても『1劫』ですらあり得ないだろうに、御丁寧にそれを5つ分だなどとはよくぞ言ったものと、呆れるより落語の気転に感心すべきなのでしょう。

去年の4月22日にリンが亡くなってから、毎日朝夕の2回、未だにリンの墓に線香をあげに行っているのです。物干しの下をくぐって、金木犀と紫陽花の間を抜けて通うのですが、ふと気づけば、いつの間にやら私の歩く道筋が白く弧を描いて、リンの墓前まで続いているではありませんか。1日にたった2回のことなのに、8ヶ月という繰り返しで、踏み固められたようなのです。

きっと獣道というのも、軽い1匹1頭ずつが歩いただけの道筋にもかかわらず、いつの間にか踏み固められた細い山道になってしまうのでしょうけれど、それこそが『継続』の証というものなのではないかと思ったのです。

技術の積み重ねとか、信頼を得るとかいうのも、そうした繰り返しの果てに、やっと得られるという類いかと思います。

先日、古い薬玉を手に入れられたという方から、失われていた下花を作れないかとの問い合わせがありました。

下花とは、草の薬玉(球体)の下に掛ける有職造花のことで、よく桃花に柳とか、椿が用いられるのです。直径が29㎝近いという大きな薬玉ですので、せっかく復元するのならば、紙包みまで備えた下花の方が良いだろうと持ちかけたのです。

花は椿でとのご希望でしたので、薬玉に大きさがあることですし、花は3色の5輪と蕾2つの構成にすることにしました。花も葉も少し大きくするのに、新しく型紙を起こして1枚ずつ切り出し、紙包みはいつもながらの京都に伝わる折り方です。

手慣れた椿のこと、パーツは難なく出来たものの、いつもより大きな花だったせいか、思いがけず構成に戸惑ったものの、依頼から数日後には届けられたのです。

『下花を付けると、それはもううっとりとため息です。見違えるほど豪華になり、しかも気品も兼ね備えて。』
とのこと。安心の余韻で新年を迎えられたのでした。

さて、『令和』という元号、どうも禍々しさばかりが漂うままです。度重なった自然災害や経済不安等々、不安ばかりが消えません。 だからと思い悩んでどうなるものでもなし、突然思い付いた『松に桜の平薬』のプランで新年を始めることに致しましょう。

白い道と椿の下花

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