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■ 近頃のこと

2020/01/06

節分飾りを作る

歌となるとまるっきり別なのですが、小さな頃から大声を出すことが苦手な私は、毎年の節分が憂鬱で堪らなかったのです。
男だから豆まきをしなければならないというのも合点がいきませんでしたし、誰も居ない座敷、玄関、次は竈(かまど)に井戸と、そこで『福は内』だの『鬼は外』だの大声を上げながら炒り豆を投げつけるだなど、およそ意味が分からなかったのです。節分が近づくにつれ、今年こそ何とかその役から逃れられないものかと、切実に気を重くしていました。
それに反して、節分に玄関の外に据えられた、柊と大豆の種を落として殻だけ残した枝を括り、その先端に鰯の頭を刺した災難除けは大好きだったのです。3つの組み合わせといったら、色や質感の対比も興味を呼び起こすに十分でしたから。
何故鰯の頭なのか、祖母が言うには鬼が魚の臭いを嫌うからなのだそうです。しかし、そのためにわざわざ鰯を買って来たわけでもなく、煮干しの頭だったりしたのですから、鰯が一番手に入る安い魚だったというだけなのではないかと思うのです。
柊と鰯の頭を使っての節分習俗は全国的なもののようですが、大豆の殻を枝ごと使うのは地域が限られるのか、Google検索でもそれほど画像にはありません。
節分ばかりか、七夕の馬とか、盆の墓に備える真菰(まこも)の膳や竹の花立とか、そうした準備は祖母がしていましたから、随分一緒に作業をさせて貰ったのです。藁で作る七夕の馬も教わりましたが、今ではおぼろ気なところばかりの記憶になってしまっています。
恐らくは、竈神に田植えの報告をしながら、豊年を祈念する風習だったのでしょうけれど、田植えの時に二掴みほど苗を残しておいて、それを竈の上で真っ黒に煤(すす)けていた神様の棚に捧げ置くのです。その根が、七夕の頃にはすっかり焦げ茶色になっているのですが、七夕馬を作るときに下ろして来て、馬の前髪やたてがみにしたように思うのです。
しかし、たてがみには干したトウモロコシのひげを使ったような覚えもあり、今七夕馬を作ろうとしても、きっと直ぐに行き詰まってしまうのでしょう。作り方を習い直したくても、もうそんな風習を受け継いで居られた年寄り達は、一人残らず墓の土になってしまいました。

何でもその料亭では、節分に炒り豆を升に入れて飾るのだとか。それに載せる柊を有職造花で作れないかと問い合わせがあったのです。
あるに越したことはないのだけれど、臭いがあるから使えなかったと仰る鰯の頭は木彫り彩色にして、更に柊だけでなく、かつての習俗通りに大豆の殻も有職造花で作ってみたのです。柊の葉の刺(トゲ)は、鋭く切り出した葉の先端を純金泥で塗って、それらしく見せてあります。

作っていても楽しく、それなりに面白く出来ましたから、料亭に飾るには少し庶民的に過ぎる気がしないでもなかったのですが、ダメが出たらまたプランをし直せば良いと、愉快のお裾分けのようなつもりで、早々に送ってしまったのです。

節分飾り

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