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■ 近頃のこと

2020/01/09

春鶯囀

私は古い日本映画が好きで、とりわけトーキーに入ってから1950年代まで、モノクロでの文芸作品が好きなのです。

幾つか以外の小津安二郎の作品は言わずもがなと言いながら、戦前の作品ならばそれよりも、『赤西蠣太1936』『鶴八鶴次郎1938』『残菊物語1939』とか、『歌行燈1943』『無法松の一生1943』などは、小津作品よりも度重ねて見たくなるのです。

戦後ならば、敗戦後直ぐに作られた『或る夜の殿様1946』から始まり、田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、賀原夏子、栗島すみ子、中北千枝子という、信じ難いばかりに揃えた女優陣での『流れる1956』。原節子の映画ならば『晩春1949』『麦秋1951』といった名作中の名作ばかりか、風間杜夫が子役として登場する『路傍の石1960』に至るまで、思い浮かぶ作品は枚挙に暇がありません。

『次郎物語1941』『警察日記1955』をはじめとして、先の『流れる』でなど、当時の杉村春子が、それこそ呆気に取られるばかりに桁違いの芝居を見せてくれますし、若い香川京子が凄まじいほどの演技を見せた『近松物語1954』など、当時はいくらでも揃えられた脇役の凄さやら、かつら(結髪)や小道具等々裏方の専門性まで、多くは年齢的に知り得ない時代の映画の水準に、ほとほと感嘆させられてしまうのです。

又、映画に写し出されている二度と戻らない風景、垣間見られる生活や労働環境、明らかな貧富の差、その無言の受容など、今や当時の映画は、歴史の証言として、風俗資料として、思いがけず貴重な記録になっています。

そんな中で、勿論スターを主演に据えた娯楽映画との感は否めないものの、京マチ子と花柳喜章の主演に、甲斐庄楠音が衣装を担当した『春琴物語1954』も、とりわけ忘れがたいのです。三味線の出来る役者でなければ、撥(ばち)を投げつけられて血を流す稽古の場が、あれほどのリアルさにはならないだろう典型のような作品でした。

それにしても、モノクロほど色彩を際立たせるものがあるでしょうか。甲斐庄楠音の選んだ京マチ子の着物の艶やかさ、鮮やかさといったら!
私がスクリーンで目にした最も晴れ渡った青空も、モノクロ作品でのことなのです。『汚れなき悪戯1955』というスペイン映画で、修道士達男ばかりに育てられた捨て子のマルセリーノが、初めて『母親』というものを知るシーンでした。マヌエルという我が子を探して名前を呼んでいた若い女性と、それを道端で見上げるマルセリーノの上に、どこまでも広がって見える画面いっぱいの空が、この上ない青に思えたのです。
『春琴物語』も、モノクロならでこそ、黒白の際立つ大胆な柄の着物が選ばれたのかもしれませんが、奉公に上がった日、幼少の佐吉が何故一目で春琴を絶対的な存在としたのかが、着物で語り続けられている感すらあるのです。

さて、春琴の書き下ろしという曲を、十六弦の箏も使った二人の合奏で披露する場面があります。新たな旋律が次々流れ出る様は、あたかも春の雪解けのようにも聴こえますし、2台の琴による旋律が後に先に追い掛けあい、絡み合って繰り返されるのを鶯の鳴き比べに見立てたのだったか、曲名は『春鶯囀』というのです。作曲は宮城道雄でした。

いつものことながら長い前置きになりましたが、梅に鶯の平薬をと考えた時、私は即座にその『春鶯囀』を思い出したのです。華やかでありながらどこか切なく、この上ない調和に満ちて聴こえた『春鶯囀』だからこそ、花盛りの紅梅白梅を少し上から眺めた構成にして、鶯にも見下ろさせてみたのです。

私の作った平薬がそれに相応しいなどと言ってのけるほど厚顔ではありませんが、意図の少しは叶えられたような気になって、一人で悦にいったりしていたのです。

春鶯囀、箱にいれたパーツ

春鶯囀、鶯と梅のアップ

春鶯囀、全体

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