梅に鶯の平薬をとの要望から、直ぐに早春の平薬のイメージが涌き上がってしまったものですから、とにかく作りたくて堪らない気持ちを押さえきれずに出来てしまったのが『春鶯囀』でした。
ところが、要望を寄せられた方が洲浜台をお持ちだったと思い出し、既に一つお持ちの平薬でなく嶋台仕立てにしたなら、種類の異なる有職造花の飾り物を提供出来ることになるし、その方が良いかもしれないと思いつけば、即座にまた新しいプランが頭に浮かんだのです。
太い梅の老木を横たわらせ、その後ろに若松を立て、花は少しばかりの紅梅と白梅。老木の手前にわずかの笹を植えるというプランなのです。
直ぐに簡単な図を描いてみたのですが、勿論実際の制作となると、思ったような形の老木が探せなかったとか、立体ならばこの方が映えるだろうとか、妥当な変更が幾つも出て来るもので、図の通りに完成することはまずありません。
また、絵空事のプランに囚われることなく、実際にあれこれと試しながら構成した方が、より自然の成り立ちや息吹を叶えて出来上がるように思います。そうした変更の過程こそ、作る者だからこその愉快でしょうし、醍醐味というものなのでしょう。
さて、台座にする桐の板をどんな形にしようか考えるうち、梅と鶯の飾りとはいえ、松も笹もですから、紛れもなく松竹梅なのです。ならば、正月の飾り物として使い回し自在なようにと、桐板の台座に、形をとどめる程度にカットした羽子板を使うことにしたのです。
鶯が止まった紅梅の咲く枝の下に、雪解け水のような、未だ冷たい色の流れも描いてみましたが、これは上巳の節句に行われる『曲水の宴』を暗示してのこと。それによって雛の節句の時期にも飾れるようにしたというわけです。
梅の老木の手前に少しばかりの笹を植えてみると、何だか松竹梅ばかりが際立ってしまいました。羽子板の台座でもあり、正月の様相に過ぎて、本来のテーマである早春の趣を削いでしまうのです。それで、笹は引き抜いてしまいました。
たとえほんの少しばかりとはいえ、笹を植えたスペースが開放されたからでしょう。あたかも雪解けの水が増して、流れを速めた小川の如くに生まれ変わって見えました。
あゝだこうだと一足早く、こんな風に指先で早春を演出しているうち、ふと気付けば裏山の梅の蕾ばかりか、庭のこぶしの蕾も随分膨らんで来ているではありませんか。とりわけ暖かいこの冬のこと、どうやら風邪も引かぬうちに立春を迎えられそうです。