節分飾りの制作を随分と楽しんだ後、珍しく垣根に植えた桜橘を作ったのです。
さる料亭で、雛の節句の設えに使っていた桜橘が、およそ誉められた物ではなかったのを見て、そんな水準のものを使って欲しくないと思ったのが動機だったのですが、さりとて桜橘を1対作るのは、私にしたら興味も面白味もありませんし、そもそも垣根(柵)がありません。
もう20年も前にもなるでしょうか、紅白ツツジの立木を作った時、雛飾りのような垣根に入れてみたらどうかと、垣根まで自作してみた事があったのです。
ツツジは完成させたものの、気に入ることなくさっさと壊してしまい、その垣根に垂れ桜でも植えてみようかと木組みしたまま作業が止まって、それっきり放置してありました。
埃を被っていたそれを引っ張り出して来て、洗い流した木組みをほぼそのまま利用して桜とし、橘にする幹を付け足して、向かって右から左に流れる桜と橘が、1つの垣根の中に植えられている設定にしました。
桜橘というのは、思いがけないほどパーツが要るもので、こればかりの物でも桜花は200、蕾300、橘の葉は250枚程。橘の実は7個です。前から見るだけの設定で、決まりきった枝組にすれば、花数も極力押さえられるのでしょうけれど、自然の枝振りの再現から離れられない私には、そうした形だけの桜橘はどうにも作れません。
しかし、京都で作られていた桜橘、とりわけ橘にはいつも感心させられてしまいます。端的で、合理的かつ経済的。最小限のパーツで実にスタイリッシュで見映えよく、様式までが成り立っています。量産前提の制作ながら、真似して出来るものではない専門性が確かに有って、それに感心も納得もさせられるのです。
ともかく華やかに、色彩の対比も穏やかに仕上がったように思いますが、なまじ1対に仕立てるよりも、桜と橘を組み合わせた1つに構成した方が洒落ているように見えないでもありません。場所も取らず、雛の飾り物としてだけでない用途をも叶えるのではないかと思ったりもしたのです。
さてもう1つ、季節にはまるでそぐわない、朝顔の飾り物も造りました。
昨年の冬だったか、福島の温泉に出掛けた折りに立ち寄った道の駅で、まな板やら額縁、下駄等々桐の工作物が置かれていた片隅に、曲げ輪っぱの柄杓(ひしゃく)があったのです。驚くほどの安価でしたが、それを使った夏の有職飾りを即座に思い付いたものの、あまりに季節外れだったからか、別に今作ることもないと思ってしまったのか、買い逃していたのです。
そもそも、天文学的方向音痴と言われる私の上に、自分で運転して立ち寄った場所でもありませんから、それが何処の道の駅にあったやら、まるで分からなくなってしまっていました。
分からなくなれば尚更欲しい。それで運転していた友人に、何度となくその話をして、その後福島に行く度に、色々な道の駅に寄って貰ったのでしたが、勿論行程の問題もありますから、まるで辿り着けないでいたのです。
それがつい先日、主に向かっていた南会津とは逆の、柳津(やないづ)という所の道の駅でとうとう巡り会えたのでした。どんなところに建っていたなどという記憶はまるで違っていて、呆れるやら申し訳ないやら。柄杓は、売れないままでいたのでしょう、同じ場所にそのまま置かれていました。
思い付いた夏の有職飾りとは、白木の柄杓に朝顔の蔓を巻かせるだけのことなのです。加賀の千代女の俳句『朝顔に釣瓶取られて貰い水』を捩った発想です。
帰るなり直ぐに染め物を始めて、その夜のうちにあらかた完成させてしまいました。蕾、花、萎れた花をそれぞれ1つずつ付けた蔓を仕立てて、それを柄杓に巻いたのです。思った通り、すっきりと涼しげに仕上げることが出来たようです。
廊下から眺める毎に蕾が膨らんでいた、裏の竹山にある梅でしたが、ちらほらと咲き始めたと思ったら、あっという間に満開近くなってしまいました。ふと気付けば、玄関前には早くも草が芽を出しているのです。とうとう、降る雪を見ることもない異常な暖冬のまま、春の到来です。
『嬉しさも中ぐらい以下おらが春』ってとこでしょうか。