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■ 近頃のこと

2020/03/09

お伊勢詣と睡蓮の池造り

田舎に籠って、今日が何日やら何曜日やらも分からないような生活をしていると、コロナ騒ぎなどどこ吹く風。まるで無縁なままで過ごしていられます。

そもそも人混みというのが嫌で、先月末に親しい研究者にくっついて行ってみたお伊勢さんなど、この時節だからなのでしょう、聞くのも嫌な中国語こそ耳にしないで済んだものの、何を求めて来ているんだろうかと訝るほどの人混みに、閉口してしまったのです。

友人の若い研究者が、先輩の学者から、何のかの言っても、やはり伊勢神宮は特別だと聞かされたのだそうで、ならば体感してみなければと、研究者独特の嗅覚に促されたことに始まった伊勢詣だったのですが、参道やら記念品売り場といったら、まさに商売まみれ。内宮に何のオーラも感じられず、感心したのは長いこと歩かされた道に聳えている大樹だけという有様だったのです。もう外宮など見る気も失せて、門の前をレンタカーで走り抜けたのでした。

もっとも、伊勢に着いたのはその3日前のことで、初日は鳥羽に向かってしまい、翌日は答志島に渡って、まさに奇祭というべき行事を見るという得難い体験に恵まれた翌日の3日目に、相差(おうさつ)から伊勢神宮にやっと辿り着いたのでした。

駐車場から内宮に歩き始めて100mもせず、赤福の茶店のお汁粉に早々と道草食う始末。以前この二人で行った『春日大社展』で、会場に入るなり『何か、貧乏臭くない?』と顔を見合わせて笑ったことがあったくらいですから、そもそも伊勢神宮をお汁粉より後回しにしたところで、至極当然といえば当然だったのでしょう。

去年の8月始め、岐阜にある『モネの池』と呼ばれる、テレビでも時々取り上げられる観光地を訪れた事があるのです。そこに行く前から、睡蓮が咲く池の淵に、季節の花々の咲く『モネの池』のような光景を、有職造花で作って貰えないかと言われていたのです。池の周りに丸平人形を並べて、楽しまれる計画だというのでした。

私がモネの池なる場所に行ったのは、円空仏を訪ねた途中にその池があったからだったのです。これ幸いと猛暑の中を立ち寄ったのですが、こんなところでよく鯉やらが生きて行けるものだと思うほどの透明度で、モネを好まない私など、こんなに美しい池をモネなどと呼ばないで欲しいと、密かに憤慨していた程なのでした。

しかし、池を作るといっても、箱庭の小さな人工池ならばともかく、山間に実在する、この上なく美しい池がモデルとしてあるのものですから、池の隣に立たせるという子供の人形の背丈からしたら、池に咲かせる睡蓮など、直径はほんの1㎝程にしかならないのです。池自体は、桐材を底板にして、幅1m程のを作ってはみたものの、咲かせる花の大きさをどう設定するのか、水面をどう表現したら良いのか等々一向に解決が見えず、とうとう半年以上も悶々と過ぎてしまったのです。

随分考えた挙げ句、どうあろうと人形の世界のことと開き直るというか、原点に立ってみれば、池は池。植物は植物。近景のみズームされたデフォルメによった植物にすれば良い。本狂いという、三頭身ばかりの狂いもの寸法の人形芸術があるように、遠景と近景が同居しても構わないではないかと解決を得るなり、半年を経た1日だけで睡蓮の一部が出来上がってしまったのでした。

結局、池の中は夏の光景で、睡蓮、河骨、沢瀉の水生植物を。池の向かって右半分は『早春』で、白梅、水仙、わらび、つくしを。左半分を『春たけなわの頃』として、山藤、山吹、菖蒲、スミレ、タンポポの12種類を植えたのです。

池の淵は、泥絵の具で彩色してから工芸用の砂を降り、また泥絵の具で草色に塗り込めて、雑草の生い茂る土手を作ったものの、泥絵の具ではどうしても深みが足りません。それで、岩絵の具で土手から表れた土やら、草の緑も全体に重ね描きしたのです。

出来てみれば、随分賑やかな池になったものですが、山藤などまだ蕾で花房になる以前の設定にしたり、池の左半分に入り込んでいるタンポポを綿毛にしてあるなど、我ながら心憎いシーンがあったり、初めてつくしやワラビを作ったりと、この制作がなかったら作らなかったろう体験が楽しく残って、出来上がった池の表情そのものに、にこやかな余韻に浸れているのです。

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