2月始めに桜の平薬を2つ作ってから、3ヶ月半も平薬を作ることはなかったのです。
その間、桜の小枝、球形の桜橘から、菖蒲葉にヨモギの五月飾り。桃太郎が持つ旗の先端に付ける桃やら、吉備団子の入った嚢(ふくろ)の木彫り彩色など、小さな頼まれ事をこなしているうちに、巨大な橘立木の制作が始まり、オリジナルの平薬制作を楽しむ余裕がなかったのです。
3ヶ月半ぶりの平薬は紫陽花でしたが、依頼による制作です。紫陽花は滅多に作るわけでもないので、花(本当は萼)の抜き型(金型)を持っていず、花も葉もその1つ1つをハサミで切り出さなくてはなりません。
先ず1.5㎝の正方形を切り出し、1つずつぼかし染めしてから花の形に切り出し、それに鏝当てをして仕上げるのですが、こうした細かな何百という数に取り組む心構えとか、籘(とう)の輪にパーツを構成する、平薬独特の様式に対する勘のような感覚がなかなか取り戻せず、作り始めはしどろもどろだったのです。
もっとも、だからこそ徐々に甦ってくる感覚には、ちょっとした快感のようなものすら得られたのですから、全く何が幸いするのか分からないものだと、改めて思ったりしていたのでした。そういえば、人生での苦痛というのも、後になるほど殊更捨てたものでは無いことを知ったりするものです。
去年の今頃、小雨に煙る象牙色の紫陽花の平薬を作ったのですが、ただでさえ品位が高く見える上に、梅雨曇りに情緒を与える如き白の紫陽花とは違って、ごく代表的な青や紫の紫陽花ときたら、ともすれば通俗に、下品に堕ちてしまうのです。葉と花と、互いの色を引き立て合うような調和を忘れずに、淡い染め色に留めることがコツでしょうか。
さて、輪の中にパーツを構成する平薬ですから、往々にして左右の釣り合いが取れないことになってしまいます。今度出来上がった2つも、向かって左側に重心が片寄っていて、五色紐に掛けたとき、どうしても左に傾いてしまうのです。
そこで、何らかの重りを補うなどして、左右の均衡を図らなければなりません。蕾の中に小石を忍ばせたりしたこともありましたが、重りは目立たないのが原則。平たい鉛や銅の重りでもないものかと考えて、ふと思い付いたのが10円玉でした。釣り合いの加減は、枚数の調整でいかようにも出来ます。
絹に包んで葉裏に貼り付ければ、あたかも雨を逃れた、梅雨時の青虫の風情。
してやったりの心境なのでした。