ひょんとしたことから、黒漆塗りの花器1対を頂いてしまったのです。
桶の底から取手の先端まで60㎝という花器なのですが、木地である樽を作ったのは、人間国宝になられた中川清司という方だそうです。
それを京都で漆塗りしたものなのですが、これに桃の花と菜の花が活けられているような有職造花を4組作ってもらえないかという依頼も、同時に舞い込んだのです。本物の花を活けるための花器ですから、実物大の有職造花ということになります。
このところ毎年、陽当たりの良い市役所通りの花壇に、暮れのうちから咲いてしまっている菜の花を目にする度、今年の春こそは菜の花の平薬を作ろうと思って来たものの、さすがに12㎜四方程度の菜の花を1つずつ切り出すのは、根気にも自信が持てませんでした。
また、形が揃わず爺むさくなるのも嫌だとか、様々果たせないままでいたものですから、ならばこれを良い機会にと、1枚ずつ手で切り出していた紫陽花の花弁(萼)と共に、抜き型を作ってしまうことにしたのです。
抜き型は、神戸の長田区にあるマルミ製作所という会社で作って貰えるのですが、菜の花の抜き型もとても切れ味よく、何時もながら端正に出来上がってきました。
早速、鮮やかな明るい黄色に染め、裏打ちも施してあった絹の型抜きから始めたのですが、私が作ろうとする菜の花は、季節に先駆けて花屋に現れる、太い茎に眩しいほど瑞々しいクシャクシャの葉の固まった菜の花ではなく、道端や畑に少し伸びてしまって、幾つか種の鞘の用意を始めている頃のものなのです。華奢な茎に付いた鞘の角度が気まぐれに愉しく、それまで仕立てるのが私流の有職造花というわけです。
何しろ小さな花のことで細工も細かく、たかだか700程でも、それを用意するのは忍耐が要りましたが、それでも花にまとめ始めると、手元から春が生まれ出るような気持ちの弾みまで感じられたのです。
かつて詩人山村暮鳥が、一面の菜の花、一面の菜の花と連呼したように、言うまでもなく陽光を浴びた菜の花ほど、鮮やかに春の訪れを目に告げる花などあるはずも無いのです。
さて実を言うと、私は黒漆塗りというのをあまり好みません。漆独特の黒が、私には艶かしく過ぎるのです。しかし、濃い色の桃花と、鮮やかな黄色の菜の花の組み合せとあっては、黒漆も脇役になるだろう目論みがありました。思った通り、黒、桃、黄の色彩対比は決して下品に陥ることなく、あたかも晴れの装束さながらに映えたのです。
桃の枝には、いつも通りに梅の古木を使っています。当然1つとして同じ枝振りのものはありませんが、出来上がったパーツを植え付けるのは、あくまでも自然の枝振りに添うだけのことなのです。
菜の花は、1塊に10~25程の花をつけ、それを9塊で1組にしました。
桃の枝と菜の花の束を1つにまとめて桶に挿してみれば、当たり前のように収まったのには驚きました。
随分と中途半端な時期での菜の花制作になりましたが、来春早々には再び、紋白蝶でも飛ばせた菜の花の平薬が出来るのかもしれません。