月別アーカイブ

■ 近頃のこと

2020/12/02

残菊

いつの間にやら、今年もあとひと月。

早くも16時には夕暮れが迫り、17時を待たずにすっかり陽も落ちて、寒さを伴った夕闇に包まれてしまうようになりました。日毎に冬の様相が深まり、庭の所々に自生した菊など、ひょろひょろとか細い茎の先に僅かな花を咲かせる、とっくに残菊の点在なのです。

残菊。真っ白に霜が降り始め、更に真冬に入ってしまっても、随分後まで微かな色を残し続けるのですが、私はその風情が何とも好きで、降り積もった雪の合間からすら覗く色彩は、それがどれほど僅かであろうと、庭中がその一点のためにあると思えるほどの美しさを覚えてしまうのです。

未だに亡きリンの墓参を朝夕に続けているのですが、雑草がすっかり影を潜めて露わになった地面に、踏み固められた墓への道の曲線が、再び浮き上がって見えます。その上に落ちた辛夷(コブシ)の大きな枯葉が日に日に重なり、それを踏む度に大きな音が足元から立つのです。

決まって2本の線香を手向けるのですが、先日その煙が私に流れてまとわり付いたのです。勝手な思いのこじつけだと承知はしているのですが、力を振り絞って私に頭を向けてくれたリンの最期が、先程のように思い返されてしまいました。いつまで引き摺っていてもと、1度は止めてみた毎日の墓参を直ぐに再開して以来、リンの死から既に1年8ヶ月が過ぎた今も、墓参を続けるままでいるのです。

真っ白だった墓標はすっかり黒ずんでしまいましたが、それを握っては話し掛けています。

さて、先月は2種類の『真の薬玉』をはじめ、『行の薬玉』、『茱萸囊』と、伝統的なものばかりを立て続けに作っていました。真の薬玉や平菊での茱萸囊など、もう十年ぶり以上になるかと思います。

伝統的な有職造花というのは、何だか歳を取るほどシンプルに澱みなく、穏やかな気持ちで作り出せるようになって感じるのは何故なのでしょう。気負うわけでも、さりとてマンネリに陥るわけでもなく、淡々と楽しみながらの制作に、迷いが出ないのです。

とはいえ、『真の薬玉』を最たるものとして、需要など遠のくばかり。節句が五つある事すら知らない人ばかりなって久しいのですから、間違いなく『茱萸囊』など凡そ用無しになる時代に向かうのは、現在の比でもなく避けられないのでしょう。だからこそ今のうち、後世に残して恥じないものを作ろうとばかり考えていたのです。

『行の薬玉』には、様々な種類の丹後縮緬を使って、より情緒や風情の滲む有職造花を目指しました。縮緬は、その繊維ゆえに、ともすればスッキリ型抜き出来ない厄介さに見舞われがちなのですが、独特の質感によって、とりわけ白に薄紅を暈した牡丹など、縮緬でなければならない有職造花に仕上がるのです。

『茱萸囊』は、写真に残る昭和初期に京都で作られた茱萸囊を伝統的なものとして捉え、黄色と白のみ直径5cm程の平菊5輪と、それぞれ1輪ずつの蕾で仕立てました。グミ15粒は木彫彩色、僅かに向かって左にグミの枝を流した構成でまとめてみました。

それにしても、何と1年の早いこと。『チコちゃんに叱られる』によれば、時が早く過ぎる感覚は、子供の頃のような初体験の新鮮な驚きやらが、大人の日々に無くなってしまったからなのだとか。成程、そうと言えばそうなのでしょうけれど、自然に対する、出来事に対する見方、接し方が鈍感でぞんざいでいるとは思えないのです。それこそが、制作の基本に有るまじき事なのですから。
残菊の色を、この冬はいつまで見られるでしょう。それも眺めながらの、リンの墓参です。

残菊 真の薬玉その1

残菊 真の薬玉その2

残菊 行の薬玉

残菊 茱萸囊

ページトップへ