南会津の山奥にある木賊(とくさ)温泉には、もう30年も通っているのですが、今年は稀に見る大雪なのです。
去年まで2年ばかり雪が少なく、地元の方々からしたら顰蹙ものとは知りながら、大雪を眺めながら温泉に浸っていたいとか、吹雪の夜を温かい部屋で過ごしてみたいとの切望から、3年ぶりの大雪に大喜びしていたのです。
しかしコロナはまるで治まることなく、井筒屋さんという1軒だけの旅館も、非常事態宣言で予約を全てキャンセルしなければならず、とうとう雪に埋もれた1月の木賊温泉行きは叶わなかったのです。
一昨年の台風で、風呂場から1階の土台まで流されてしまった井筒屋さんなど、呑気なだけの私など比でもなく、一年半がかりでどうにかこうにか、ようやっと復旧出来たかと思えばコロナ騒ぎの悪化。
しかも、高齢のお父さんを施設に入れない限り、旅館の再開を許可しないという役場からのお達しにも阻まれ、それでも漸く昨年の11月下旬、何とか旅館再開に漕ぎ着けはされたものの、僅かに1ヶ月ばかりで非常事態宣言なのでした。
1月に入って間もなく、光も空気もどんどん膨らんで来ているのを如実に感じてはいたのですが、久しぶりに家の裏に回ってみれば、竹山にある梅の古木に、いつの間にやら幾つも花が咲いているではありませんか。
真冬は、裏の雨戸を締め切りでいる事も多く、滅多に目にすることのない梅の木でしたから、まるで気付かずにいたのです。
それは、春の訪れを決定づけたのと同時に、厳冬大雪の木賊温泉に身を置く機会を、今年も失してしまったとの決定づけでもありました。
私は決して、春を待ち侘びるものではありません。ゾッとするほど夏が嫌な私には、『春の訪れ』こそ『夏が近付いた』という以外ないからなのです。
矛盾極まりないのですが、それでいながら、何故か早春に多い黄色の花を目にするのが楽しみで仕方ありません。連翹には連翹の、ミツマタにはミツマタのと、それぞれに鮮やかな思い出があるのです。
菜の花は、今や暮れのうちから、街中の道路脇に設えられた花壇に満開で咲いていたりするものの、昔は花屋の店先に見つけるのを待ちかねていたものです。鮮やかな黄色の花ばかりか、クシャクシャの葉の明るい黄緑もまた、花屋の灯りよりも明るく、目に飛び込んで来たのです。
しかし、畑や野にある菜の花といったらヒョロ長く伸びて、出来立ての種子を宿したサヤを花の下に沢山付けていたものです。
私はそれが殊更好きなものですから、昨年の夏に菜の花と桃の花を組み合わせて作った手桶飾りでも、既にそこまで育って咲く菜の花に仕立てたのです。
菜の花は4枚の花びらですし、数も沢山要りますから、その桶飾り制作のために抜き型を作ったのです。ですから、季節外れでなく菜の花の平薬を作れる時が来るのを楽しみにしていました。
しかし、平薬に仕立てるには、思いの外難儀をしました。パーツとして1本の菜の花を作るのは何ということもないのに、それを平薬に構成するとなると上手くいかないのです。
『いちめんのなのはないちめんのなのはな』と繰り返す山村暮鳥の詩のようにしようかと思ったり、何かと組み合わせたらどうかとか、根気よくパーツを作りながら考え続けたものの、最後まで一向に思い付きませんでした。
しかし菜の花など、そもそも作為なく野に群れ咲いているのが良いのですしょうし、なまじの演出など、本来無用だったのかもしれません。
そうやって、穏やかな気持ちで眺めているのです。