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■ 近頃のこと

2021/02/08

御引き直衣と真の薬玉

今月に入るなり、四寸程の小さな『真の薬玉』を作っていたのです。

先月は、何の狂い咲きか『真の薬玉』ばかり3つも仕上げたのですが、その流れといえばそうなのでしょう、4つ目は私の『丸平大木人形店 大木素十 丸平コレクション』にある『五番御引き直衣立像』の女雛に持たせるための小道具なのです。

御引き直衣という、純白の小葵文に緋の袴を着けた、本来天皇の普段着だという装束は、雛コレクターが最後に辿り着く(手にしたいと思われる)装束のようで、私はそうした方を何人も知るのです。

私がコレクションする御引き直衣立像は、六世大木平蔵の作です。当時丸平大木人形店が唯一卸しに応じられた業者からの依頼で作ったものとか。デパートでは550万もで出されていたようでした。

もう20数年前にもなるでしょうか、丸平さんとの電話で、先代が御引き直衣を作ったことがあるという話を耳にして即座に、いつか私も丸平さんの御引き直衣を手にしたいと、実物を見ることなしに虜になってしまったのです。

先日、珍しくNHKの大河ドラマを見ていると、正親町天皇に扮した坂東玉三郎さんが、白銀に輝く月の光が降りしきる廊下に、御引き直衣を着用して立つ場面があったのです。玉三郎さんだからなのかもしれませんが、あれほど美しい御引き直衣姿を見たことがありません。かつて私が話だけで魅了されてしまった御引き直衣は、こうしたものではなかったかとすら思いました。

それはさておき、丸平六世さんが作られた御引き直衣を在庫したまま、業者はバブル崩壊に巻き込まれて倒産したのです。

しかし、それ故にその御引き直衣立像が私の元にやって来ることになったのですから、何か因縁めいたものを思わざるを得ません。

その御引き直衣立像ですが、突然信じ難い姿で私の前に現れたのでした。こともあろうか、何と大通りに面したウインドウに、1月の陽を燦々と浴びて客寄せに置かれていたのです。直ぐに陽の当たらない店内に移動してもらうなり、価格を聞いたのでした。

その店は、丸平雛を商っていた業者の従業員数人が、在庫を引き取って始めた店なのでしたが、経営が難航していたのか、程なく御引き直衣立像を救い出すことが出来ました。特殊な装束のことで、デパートでの展示は何度もなかったらしく、良い状態のままだったのは幸いでした。

さて自分のものになってみれば、幾つか物足らないところがありましたので、早々に手直しに掛かりました。

三世川瀬猪山の石膏頭を初代猪山の練り頭に付け替えたのを皮切りに、手を木彫りして付け替える。御金巾子の冠を正す。手にしていた笏や檜扇を別の持ち物に替えたりと、折々手を加えながら更にそれから10年以上も過ぎては、どうにも地味な初代猪山の練り頭を、運良く手に入れられた十二世面庄頭に付け替えるとか、長い年月を掛けて徐々に理想に近付けて行ったのです。

何度も試行錯誤していたのは、手持ちの小道具でした。いつ頃のことだったか『和漢三才図会』に葵飾りの図を見つけたのですが、時代を感じさせる線描きの図から、御引き直衣立像の設定を葵祭の頃とすることを考え付いたのでした。

直ぐにその図の葵飾りを有職造花で復元して男雛に持たせたのは良いのですが、では女雛となるとまるで思い付かなかったのです。葵祭の儀式など調べても、相応しいものが見つけられません。仕方なしに、五月の行事というので、とりあえず根引き菖蒲を持たせはしたのですが、葵に比べてあまりに芸がありません。

それからまた何年も過ぎた先日、ふと尺三寸端午の官女用の真の薬玉を持たせてみれば、それがなかなか映えるではありませんか。それで再び、小さな真の薬玉を作っていたというわけなのでした。

少し大き目になった新しい真の薬玉でしたから、手持ちさせるまで心配だったものの、結果は上々。長い間のモヤモヤが漸く晴れた気持ちでいます。

一際華やかに変わった袿単立像ですが、箱の蓋を開けて暫く眺めては仕舞い、また開けて眺めるを繰り返してみれば、どうやら漸く完成に漕ぎ着けられたようなのです。

真の薬玉

男雛正面

女雛正面

男雛斜め

女雛斜め

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