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■ 近頃のこと

2021/02/14

花咲く蜜柑を作る

私は酢を使った食べ物が大好きなのです。この世で最も好きな食べ物は?と聞かれたら、酢飯と答える程なのですから。

そのあらゆる寿司をはじめとして、小鯛の笹漬け、しめ鯖、真っ赤な酢だこ、酢の物等々の料理ばかりか白酒まで、そもそも酸っぱい物が好きなのです。

酸っぱくなった漬物などは、多くの人が音を上げるほどのものでも、かえって好物なのです。

京都から毎年頂戴するすぐきなど、届いてから3ヶ月も冷蔵庫に寝かせた後にご馳走になるのです。

沢庵は、今やそれしかないと言ってよいほど普及してしまった、甘く漬けた早漬けより、ペシャンコに真夏まで残った酸っぱい沢庵が好きで、それを食べたくてとうとう自分で漬けるようになりました。

その反面、ミカン類、葡萄、イチゴ、リンゴといった果物の酸っぱさばかりは、どうにもダメです。

ショートケーキのイチゴのどこが耐え難い酸っぱさなのだと呆れられるのですが、考えただけでも耳の下がキュンとなって、顔を顰めてしまいます。

味わいとしての酸っぱさではなく、無防備を襲う鋭く直接的な刺激とでも言うのでしょうか。

ですからイチゴやリンゴを自ら進んで食べることなど、殆どありません。

リンゴといえば、面白い話を思い出しました。

私がリンゴを食べなくなったのは、21歳の秋からなのです。観光バスの助手というアルバイトをしていたある日、りんご狩りする客を降ろした私もまたりんご園に入ると、その主が寄って来られて、木に登ってみろと仰る。

何でも、1番上の枝にはかならず1番大きな実が1つだけあるのだそうで、それが1番美味しいから、登って取ってみろと言われるのです。

言いつけ通り木によじ登ると、なるほど普通に実るリンゴなどその他大勢としか見えない、別格に立派な1個が本当にあるのです。

その場にかぶりつけば、今まで知ることもなかった、非の打ち所のない味わいなのでした。

別の木に登ってみても、やはりてっぺんに必ず大きなリンゴがあって、ハズレなく美味しいのです。

木に登って食べている私を目敏く観光バス客のおばちゃんが見つけて、何をしていると聞くので、こんなわけだ話せば途端に色めき立って、私達にも取ってくれという。

仕方なしに別の木に登って投げてやれば、直ぐにかぶりついて大騒ぎ。それを聞き付けた別のおばちゃん達も集まり出したので、慌ててバスに戻ってしまったのでした。

それから半世紀近い年月が過ぎた今日まで、りんご園を再び訪れることはなく、てっぺんに必ず一つだけある大きなリンゴを得る機会も無いまま、その美味しさが忘れられずに、リンゴ嫌いになってしまったというわけなのです。

家の庭には、もう何十年も前から夏みかんの大きな木があるのです。実った黄色い実は落ちることなく夏頃までも残って、庭に色を添え続けてくれますが、それというのも、柑橘類に目が無かった母ですら、こんなもの食べられたものかと、取ることがなかった不味さからなのでした。

夏みかんの木は、奥の廊下の直ぐ脇にあるのですが、昨年五月の朝にカーテンを開けると、真っ白い花と実がビッシリと付いて、圧倒的な美しさで咲いていたのです。

直ぐにでも平薬にしたい思いに駆られ、花の集合ぶりを調べに出たのですが、何しろあまりに夥しい数の花と蕾でしたから、そのパーツ作りに恐れをなしてしまいました。

それから9ヶ月を経た先日、どうでもその感動が忘れられず平薬制作に挑んだものの、問題は花や蕾の数よりも、葉の形状にあったのです。

有職造花の技法では、葉の中央に通った主脈を底にして、内側に折るような葉を作るのが難しいのです。

そもそも、雛飾りの橘に施す平たい葉への鏝当てこそ、有職造花の代表的な様式なのですから、有職造花と名乗る以上、葉のサイズこそ試作の上で新た

に決めたものの、葉の形状も鏝当ても、やはり伝統的な様式に則ることにしたのです。

しかし、それ故夏みかんの花盛りとは、まるで趣の異なるものになりました。

それでも、この平薬は正真正銘夏みかんなのです。何しろ、木組みに使った枝は常の梅ではなく、剪定したその夏みかんなのですから。

それで堪忍しとくれやす‥‥です。

葉無しパーツ

葉のあるパーツ

平薬

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