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■ 近頃のこと

2021/03/09

無念続きの春先

昨年の5月、間口が148、奥行100、高さ85cmという、葉数3000枚もの巨大な橘の立木を作ったのですが、完成して気付けば、制作していた部屋のサッシを外してやっと外に出すことが出来たという大きさなのでした。

今やそれが笑い話になっているのですが、金屏風の前で撮影した画像をプリントして残したほど、私としてはとても出来が良い、時に『結構上手いかも』とか自画自賛に浸れるほど、嬉しさも、愛着も深いものになったのです。

ところが先日その依頼者から、それより一回りも大きな桜の立木を作れないかとの問い合わせがあったのです。

間口160、奥行130、高さ100cmというのですが、こと桜となったら、橘となど比べようもないほどの手間の違いがあるのです。

そもそも桜の花はほぼ実物大なのですし、そんな規模の立木ならば、本物の鉢植えでも使った方が、ずっと安上がりというものでしょう。

現実的に、私がその大きな桜の立木を作る場合、最低でも花は7000。蕾と葉がそれぞれ5000は必要でしょうし、当然萼(がく)だけで12000本。加えて雄蕊(おしべ)も、7000個要るのです。

その花や葉、萼などは、それぞれに染めて和紙を裏打ちした絹を8枚重ねし、2000回もの型抜きでやっと揃うのですが、それを立体化する鏝当ては、1枚ずつ鏝を当てる私ですので、花と葉だけでも13万回(花70000回、葉60000回)。

しかも5000枚の葉は、先端だけに1枚ずつ紅を刺して後、5000本の針金を貼り付けてからでないと、鏝当てに辿り着けないのです。

勿論、それだけの数を枝に咲かせたら、それは見事なことでしょうけれど、私の腕は最早2000回の型抜きに耐えられそうもありませんし、半年とかの長い時間を掛けて挑めば、出来ないこともないのでしょうけれど、12000本の萼作りなど、私でなければ出来ない作業でもなく、退屈な下拵えにそこまで長時間を割き、忍耐する自信がないのです。

そんなこんな、私一人での桜立木制作は、冷静に、現実的に捉え直すほど、やはり無理だと結論付けたのでしたが、今でもふと、目の前にびっしりと花を咲かせた有職造花の桜立木を目前に、悦に入りながら、花やらの向きをピンセットで微調整し続ける自分の姿が頭に浮かんで、その満足といったら、橘の完成などとは比較にもならないだろうにとか、無念さがよぎるのです。

巨大な桜の話があったかと思えば、僅かに直径1寸(3cm)程の薬玉の依頼が舞い込み、桜橘一対に仕立てました。

そんな小さな桜や橘の葉の抜き型などありませんから、全部手で切り出したのです。

手間は掛かりますが、制作はそれほど難しいことでもありませんし、土台の球は依頼者から提供して頂けましたので、2日程で出来たのです。随分と可愛らしいものでした。

しかし、花や葉を1枚ずつハサミで切り出さなくてはならないが故に、花弁の大きさも型抜きのように揃わなかったり、個々があまりに小さく、鏝当てや折り目がきっちり施せなかったりしますので、段々と欲求不満が無念となって積もってしまうのです。

小さなものといえば、雛の扇に結んで垂らす五色紐を自分で編んでみたいが、どこにもその結び方が記されていない。是非とも方法を教えて欲しいという問い合わせがあったのです。

『にな結び』というのですが、口で教えれば何ということもないものの、図に描いて教えるには厄介なのです。

仕方なく電話番号を記し、紐を1本用意して電話して欲しいと返信したのですが、やはり電話はありませんでした。

その程度の熱意ならば、放っておいても良いのでしょうけれど、せっかく問い合わせして来られたのですし、翌朝図に描いて再送したのです。

それにも、何の返事もありませんでした。

今では、世話してもらうのは当たり前。目的が叶ってしまえば感謝もしないなど、珍しいことでもなくなってしまっています。

善意が握りつぶされる。そんな繰り返しをされたら、人を見る目が歪むなど無理もないことかと思いはするのですが、これからも私は、問い合わせがあったなら、あくまでもその熱意相応に、きちんと応えてゆくつもりなのです。

相応しい季節を先取りするように、依頼による30本の菖蒲が出来ました。同じものは1本たりともありません。

送られて来た見本は花一輪のものだったのですが、殺風景でつまらなかったので、蕾を一つ加えさせて貰いました。

いつ作ろうが、菖蒲ばかりは無念の欠片も見えず、部屋に初夏の風が吹き抜ける気がします。

橘

桜

薬玉

菖蒲

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