いつの間にか、仕事場の前にある柿の木をはじめ、辛夷、木蓮、花水木、木犀から鉢植えの山茱萸やらまで、瑞々しい新芽が吹き出していました。
びっしりと花盛りだった木瓜はとうに散り始め、何種類もの水仙の花が終わりに近付いたと同時に、今度はライラックが咲き始めています。
そうした光景を、今の私は何の抵抗もなく愛でられ、その花の数々を平薬に咲かせてすらいるのですが、春を迎える‥‥そんな何気ないことが、かつての私には憂鬱そのものだったのです。
私の誕生日は4月12日ですが、それは戸籍上のことで、本当は4月11日なのだそうです。
中学生の頃だったか、母に何故なのか聞いてみると、父親が役所に届けた時に間違ったのだとか。生まれて初っ端からのうっかりだったわけです。
だもの、小学1年にして、学校でランドセルを開けたら、見事に空っぽだったとか、やたらと忘れ物をする、未だに右左が分からない、そして何より年を経るごとに、世の中そのものに違和感ばかり感じて、それに沿うことが苦痛になって行ったのも、あながち自分のせいだけではないのだろうだなんて思ったり。
そんなこじつけ放題の責任逃れは笑い話としても、有職造花と丸平雛に出会うまで、まるで人生の目的も行方も知れず掴めず、明けることの無い右往左往を続けるしかなくていたのです。
年度が改まって直ぐの誕生日ですから、春先どころか、冬至を過ぎて日が伸び始めるなり、毎年毎年何かに急き立てられ、追い立てられるような気持ちで焦り出し、また何も成せないまま1年を無為に過ごしてしまうという強迫観念のようなものに苛まれ、憂鬱ばかり抱え込んだのでした。
しかしいつ頃からだったのでしょう、間違いなく有職造花制作と丸平コレクションに、人生の目的を見い出せてからには違いないのですが、そんな気持ちはことごとく消え失せてしまっていました。
本当に、人生がいつ花開くかなど、そもそも人によって全く違うのです。明日は決して今日では無いのだから生き続ける価値がある。とにかく生きていさえすれば良いのです。
以前にも書いていると思うのですが、『The best things are never in the past,but in the future.(最上のものは将来にあり、過去にあってはならない)』という言葉を、人生の下り坂に至った今ならばこそ、実感を伴う掛け替えのない言葉とするのです。
さて時の移ろいは、様々な人達の永遠の旅立ちを送ってばかりいた者を、 いつしか送られる者にと変えてしまいます。
それと同時に、積み重ねて頭の中に残るあらゆる記憶や体験が、どんどん現在と掛け離れて、古びた範疇にされてしまうのです。いつの間にか、『昭和時代』などという言葉が、大手を振って罷り通っているようにです。
しかし成程、それも仕方ないことなのでしょう。何時だってそうやって時代は進んで来たのですから。人生など、あくまでも『個人的』なものに過ぎません。個々が息を引き取る瞬間に、感性など言うまでもなく、育み積み重ねた知識も、技術も、出来事の記憶も、本当のところは決して受け継がれることなく全て消去され、リセットされるのが宿命なのですから。
ならば、自分だけの人生を全うすれば良いだけのこと。いよいよそればかり思う春になりました。
何はともあれ、暮れの生まれでも年度末の生まれでもないのに、誕生日が2つあるだなんてそもそも得難い特権なのですから、今ではプライベートでは11日を誕生日と言い、書類などでは12日を誕生日にするとか、好きなように使い分けているのです。
先月末、昨年の秋に取材と撮影のあった、平凡社『別冊太陽 有職故実の世界』が発売になりました。取材の後に監修者に納めた茱萸囊や真の薬玉までカットに使用されていて、素直に嬉しく思っています。