家には未だ、馬屋(まや)と呼ぶ、戦前には農耕馬も入れていた納屋が残っているのです。
今では、馬に代わって私の軽自動車が収まっていますが、その屋根に玄米やら小鳥の餌を撒いておくと、直ぐに雀や鳩がやって来て、コツコツと啄んでゆくのです。
もうふた月も前なのですが、その屋根に大きな鷺が来ていたのです。まるで、湿地に立つハシビロコウのように見えるほど大きな鷺なのでしたが、鷺は米など食べないだろうにと妙には思いながら、それ以上気にも止めずにいたのです。
そこから見下ろす庭に、直径も深さも1m程のコンクリートの入れ物を、地下に半分ほど埋めて水を溜め、8匹の金魚を10年も養っていたのです。
たかが金魚すくいで貰って来たような小さな金魚でも、乾燥イトミミズをたらふく与えて10年もすると、もはや金魚とは言えない30cmにも大きくなって泳いでいたのですが、ふと気付けば1匹残らず消え失せていたのです。
横たわって浮いてしまっていたのを、2週間の塩水治療で全快させたりして来たというのに、あの鷺の仕業なのです。屋根に立っていたのは、金魚に狙いを定めていたというわけだったのです。
今まで何度も、美しい姿で平薬に作ってやったというのに、この恩知らずが!とか、勝手な恩着せがましさで憤慨しようと、金魚が戻るわけもありません。
勿論再び、あの鷺が屋根に立つ事もなかったのです。
さて、馬屋の左前には、ふきのとうが沢山出るのですが、花を咲かせ終えると直ぐに、地面からどんどん蕗の葉が伸びて繁り始めます。
春を待った初めての葉ならではの、瑞々しく柔らかな緑ばかりか、あちこちに伸びた茎が、薄緑の曲線を見せてくれるのです。
久しぶりに『原色精密日本鳥類写生大図譜』をはぐっていたら、一際鮮やかなオレンジ色の羽に描かれたコウライキジの背景が蕗なのです。
蕗の根元を歩く図なのですが、その色の対比ときたら、今の季節ならではの蕗の葉色程相応しいものはないように思えて、直ぐに蕗とコウライキジの平薬制作を始めたのです。
キジは今までに大小2羽木彫彩色しているのですが、その彩色は実に厄介で、上手く出来た試しがありませんでした。
その上コウライキジといったら、更に派手な色の羽がやたらに入り組んでいるのです。やはり、持て余すしかありませんでした。
羽を細かく描き分けても、ただ説明的になるばかり。ちっとも面白くありません。蕗と合わせてみても、ダメなものはダメなのです。
その夜、長風呂に浸かりながら、蕗の葉→茂み→根元→空間‥‥と発想を紡いで行った時でした。虫とか動物とか、きっと蕗の葉が屋根になった根元を通るのだろうなぁと思い至った瞬間、作り置いてあったリスを思い出して、小さく叫んだのです。
色彩の対比も良く、リスは当たり前のように蕗の根元に居所を得て、私も思いを叶えたのでした。
蕗の間にひょろりと伸びて、遠慮がちに小さな花を咲かせるのはヒメジョオンですが、それは馬屋の茂みのままなのです。
どこに向かうのやら、足速に通りすがるリスを思えば、『蕗の下道』という題名が、どこからともなく浮かんで来たのでした。