数日前からの雨で、お盆も台無しでした。
毎年、私が盆棚を設えるのですが、今年は提灯などいくつも飾らず、簡素に済ませてしまいました。
数日前に1人で墓掃除に行き、たっぷり水を使って、石やら墓誌やら隅々まで拭いて、線香もあげて来たので、それで気が済んでしまった感があったのです。
母が存命の頃には、お盆や正月となると当たり前に、家から離れた兄姉やら、その子供達やらが泊まりに来て、随分賑やかだったものです。
そうなると、母の面倒を見る必要が無くなるので、宮古島に出掛けられたとか、ここ10数年は東京にあるマンションで過ごすようになっていたりとか、もう随分前からお盆に家にいることが無くているのです。
母が亡くなってからも、どうも賑やかなのが苦手になる一方なのもあって、マンションに逃れることを続けているのですが、盆棚をきっちり設えて来るのは、他に出来る者がいないのが一番ではあるものの、自分がいる限りは昔からの風習を遺したいという思いと、一種の罪滅ぼしの気持ちもあるのです。
ここ2ヶ月ばかり、相変わらず巨大な染井吉野の下仕事と格闘するばかりでした。
そんなところに、熊本から茱萸囊(ぐみぶくろ)の注文があり、気分転換にもなって新鮮な気持ちで作れたのが良かったのか、とても喜んで頂けて納められたのですが、直ぐに染井吉野の制作に戻ろうとするなり、また別口で茱萸囊3組の注文がありました。
更に、一間半もの床の間と、同寸の違い棚という大きな座敷に、そんなスペースをものともしない正月飾りを誂えたいという相談も舞い込んだりと、何だか矢鱈に忙しなくていたのです。
とはいったところで、あたかも昼食時の定食屋さながら、いきなり集中して客が押し寄せては、潮が引くようにまた誰もいなくなって、後はお茶を引いているばかりという程度なのですけれど。
有職造花制作の道具やらを、すっかり引き払ってしまったマンションのことで、基本的に作業が出来ません。
ですから、本心では家にいて、you tubeで六代目三遊亭圓生の落語やらを聞きながら、コツコツ制作を続けていたいところなのですが、用意してきた茱萸囊の下仕事など、13日の夜を待たずにサッサと終えてしまっては、ただただ暇を持て余すしかなくなってしまいました。
いつまで経っても、山のように残る花びらやらの下拵え、下仕事の連続には、やはりその退屈極まりなさにうんざりしてしまうのですが、そうであろうと手を動かしてさえいれば、何となしに満たされていられるもののようです。
こともあろうに、お伊勢さんの参道を延々と歩かされている時だったり、30年来通っている温泉に、このコロナ禍やっと出掛けられたという風呂上がりのくつろぎ時ですら、ついつい手持ち無沙汰でいることが辛くなってしまうのです。
物作りからすると、制作などというのは、例えどれだけ忙しかろうと、退屈な下仕事にうんざりさせられてしまおうと、どこか休養足り得てもいるということなのでしょう。
よくよく貧乏性に生まれついたものかもしれませんけれど、下仕事とはいえ決して同じ繰り返しをしているわけではないからのことなのかもしれないと思ったりもするのです。
3つの茱萸囊は、これから木組み、房作り、袋縫いといった作業が続くものの、20日までには納品に漕ぎ着けられるでしょう。
今年は珍しく3つほど作った七夕飾りでしたが、短冊ばかりは『王朝継ぎ紙』という工芸品でなければなりません。
葉書大に作られたものから、良いとこ取りして短冊に仕立てる贅沢な使い方故に、使い切るのも早いのです。
幸運にも、新しく20枚ばかり手に入れることが出来ましたが、この工芸も風前の灯火です。