9月に入るなり、梅雨のように陽射しの見えない天候続き。気温も下がっては、残暑らしい残暑もなく、このまま本格的な秋に入るようです。
あれほど、暑さや湿度の夏が忌々しいと、恨み言ばかりでいたというのに、こうなれば何だか拍子抜けしてしまったように、どこかで残暑を惜しんでいたりするのですから、全く勝手なものだと呆れます。
そんな風に急に暑さが引いてしまったからでしょうか、色こそ褪せたものの、未だに女郎花が沢山立ち咲いたままの庭に、紫苑は既に花盛り。
びっしりと花をつけていた金木犀が散り始めれば、雨に垂れた白萩に花が見え始めています。
紫苑は、取り分け愛着ある花ですから、思い出にも溢れます。
秋の彼岸の墓参には、必ず持っていったものでしたが、母の死を機会に、土葬の墓を掘り返して改葬するまで、花立を備えた墓石が、 江戸時代のものから16もありましたから、紫苑は両手で抱えるほど大きな束になったものでした。
秋の彼岸には、半紙に新米を包んでゆき、全ての墓に供えるのです。
その半紙を墓の数だけ割いて、墓石の前に刺した葉付きの細い篠竹に結ぶのですが、余った半紙を花立からツーッと伸びた紫苑に結んだりもしました。
次の墓参は春の彼岸のこと。半年も過ぎながら、花立には枯れた紫苑の茎ばかりがそのまま残っていたもので、それを目にすると、子供心にすら妙に時の経過というものに思いを馳せずにいられなかったのは、一体どうしたわけだったのだろうと思い返すのです。
さて、何度も話題にして来た、巨大な染井吉野立木制作を開始してから、3ヶ月が過ぎました。
1つの有職造花を完成させるのに長く掛かったのは、2年に亘るスランプが明けて、最初の制作になった山桜の立木の時とか、直径43cmもの草の薬玉を作った時を即座に思い出しますが、それでもひと月程のことだったのです。
3ヶ月といっても、その間に茱萸囊を3つやら、別の制作も入っての事なのですが、花と蕾で10000(添付画像の約7倍)。それを木組みに植え付けるまでの小枝に仕立てたのが700余という下拵えを、どうにか終えたのです。
ここ1週間ほどは、それでもまだ足らないのではないかという不安が消せずに、花の追加分1400余を作っていたのですが、一応その完成をして、下拵えの完了としたのです。
これからいよいよ木組みに入るのですが、勿論イメージだけの事ながら、ずっと考え続けていた完成の予想図を描いてみました。
もっとも、どんな図を描いてみたろうが、大抵はその通りになどなりません。
そもそも私の木組みといったら、先ず自然木の形ありきで、あくまでもそれを活かすことが、絶対的な基本なのです。
その枝をどの向きで、どの角度に、どこに使ったら、自然の造形を最も活かせられるかとのインスピレーションは、言うまでもなく自然木を手にした時に湧き上がることですから、素材の良し悪しが完成の出来に、甚だしい影響を及ぼすのです。
昨年作った大きな橘立木は、木組みの時点で成功が知れたほど上手く行ったのでしたが、庭で木組みを完成させてから家の中に運び、造花の植え付けをしたのです。
今度の染井吉野は、それよりも更に大きな規模で、相当に太い幹を少なくとも2本使ってメインの幹とするつもりですから、間違いなく1人では容易に持ち運びが出来ないほどの重さになるでしょう。
すると木組みから奥の八畳で始めた方が良いのかもしれません。
これはえらいことになったと、今更ながらその尋常ならざる大きさを実感させられながら、より良い幹やらを集めるのに、ワクワクしてもいるのです。