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■ 近頃のこと

2021/10/29

FAZIOLI、FAZIOLI、FAZIOLI!

5年ごとにワルシャワで催される、ショパン国際ピアノコンクールには、毎回鮮烈な刺激と感銘を受けてしまいます。

それだけセンセーショナルな才能が登場するからなのでしょうけれど、私の興味の殆どは、本選でのコンチェルト競演です。

今回の1位(カナダ)、2位(日本)のfinal演奏は、共に第1番の選択でしたから、使用するピアノが異なり、微妙な年齢差にあったのが、聴き比べにとても好都合だったのです。

或は、どの版の楽譜による演奏というのもあるのでしょうし、勿論解釈の違いとか、楽譜に反したような表現であろうと、許される挑戦(可能性)や感性の反映の範疇として妥当足り得るとか、それらが思いがけない説得力に溢れたりすると、唖然とさせられるのです。

今回驚かされたのは、1位が演奏した第三楽章の後半、通常なら突然急速のFFで、同じ旋律を2回繰り返す聴きどころの1回目を、PPで弾いた時でした。

勿論オーケストラもそれに沿わなくてはなりませんから、本来フォルテに至るクレシェンドの途中を、いきなり吸い込まれるようなデクレシェンドでPPに導かれたその瞬間こそ、コンチェルトの醍醐味そのものに感じたのです。

所詮、作曲家の真意など理解出来るものでは無いのですし、反対にM.カラスのToscaのように、解釈や表現が凡庸な作曲家の意図を、遥かに上回ってしまうことだって有り得るのです。

勿論、身の程知らずのあざとさとか、奇を衒うだけの演奏など問題外ですが、演奏にはそもそも、何が正解などという限定などないのかもしれません。

それにしても、今回のFAZIOLIの飛躍といったら!

前回は、1次予選かでたった1人に選ばれたのみ。あとは全く演奏者からの支持が得られず、そのピアニスト(イタリア)も落選してしまい、日本人の調律師が肩を落として帰って行かれたのでした。

それが僅かに6年で、ファイナルのピアノとして3人もに選ばれたばかりか、1位、3位がFAZIOLIのピアノだったのです。
第2番を弾くピアニストがFAZIOLIを選ぶのは納得なものの、第1番を弾く優勝者にまで選ばれたのですから、何かが抜きん出ていたのでしょう。

その音色は、クリアでいながら現代的に過ぎるわけではなく、温かさも情緒も兼ね備え、何よりも演奏者を輝かせるように聴こえるのです。
3位(スペイン)による、2番第二楽章は素晴らしかった。

コンクールの入賞者で催されたコンサートでは、コンチェルトを披露する優勝者に合わせたピアノが据えられたようで、全員がFAZIOLIを弾いたのですから、よくよくのリベンジなのだろうと、前回落胆もあらわに去った日本人調律師を思っていました。

それにしても、コンチェルトの双方がショパン20歳の作品なのだとか。前にも書いたのですが、だからこそでもあるのでしょう、ショパンのコンチェルトばかりは、演奏者自身が、世間知らずに若々しい感性と、未熟に揺れ動く人格の頃にないと弾けない気がするのです。

1位の24歳なら良くても、2位の27歳では経験の差が仇になり、テクニックの卓越さすら、云わば目垢ならぬ、手垢、弾き垢が付いているように聴こえてしまい、例えアルゲリッチであろうとも、歳を重ねては弾いてならないコンチェルトとしか思えないのです。

さて、私がこの8月頃まで、3ヶ月程魅了され聴き続けていたのが、モーツァルトの弟子だというヨハン・ネポムク・フンメル(1778~1837)のピアノコンチェルトだったのです。

たまたま、前回6位入賞者だったロシアのピアニストが演奏していた、フンメルのコンチェルト2番を耳にするなり、途端にその親しみ易い旋律美に魅了されてしまったのでした。

3番も5番も、直ぐに制作に欠かせないBGMとなって、毎日毎日飽きもせずに流し続け、時に手が留守になる程聴き惚れていたのです。

5番には、ショパンを思わせるマズルカのようなリズムや旋律があり、モーツァルトとショパンが同居するような音楽に不思議なままでいた先日、ショパンに最も強い影響を及ぼしたのがフンメルだと聞き、驚いたのでした。

どっちがどっちというわけでもなく、やはり惹かれるには惹かれるだけの確かな要因というものがあるのだと、思わぬショパン国際ピアノコンクールの収穫だったのです。

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