数年前、明治時代に制作されたらしい雛頭1つを、福井のコレクターの方にお譲りした事があったのです。
或いは、交換だったのかもしれません。
その頭(かしら)は、コレクションの中でも重要な雛に使われていたのですが、何かすっと嵌らないでいたため、先日別の明治頭と付け替えられる事になり、それで私の元に里帰りしたのでした。
私のコレクションには、二番親王尺三寸二十七人揃という、巨大な組物がありますが、それに使われた頭は、丸平大木人形店に残されていた明治期~昭和4年までに納品された頭から選び出したもので、そのサイズでは辛うじて1組だけ揃ったのです。
丸平さんといえど、さすがに雛人形の親王として作られた、十一世、十二世面庄系の頭は殆ど見当たらず、何らかの理由で使われなかった、また、1度は使われながら外されたらしい五月人形の頭が多かったのでした。
中には随分出来の悪い頭もあったりしたものの、さすがに十二世面庄系の神功皇后頭ばかりは、楽人にでも官女にでも、眉を書き替えるだけで最適に使えましたから、根こそぎ拾い上げてしまいました。
尺3寸というのは、立った時に額までを39cmに定めた雛の寸法のことですが、雛頭というのはそもそも中性的なためなのでしょう、男眉を書けば男雛になり、女眉にすれば女雛にもなるものが多いのです。
里帰りを果たした雛頭もまた、70年以上丸平さんの倉庫に眠っていた、夥しい数の頭の1つでしたが、恐らく明治時代に作られた雛頭なのでしょう。
明治期の女雛頭は、どうしたわけかやたらに鼻が長いのですが、その特徴が顕著に見られるからです。
しかしこの頭、どうしたわけか衣装を付けると、頭だけで見る時の美しさが削がれるのです。以前、加えの銚子官女の頭に使ったものの、長い鼻筋が間延びしたように見えてしまい、清楚な面差しの頭の出現によって、付け替えた経緯もそれ故のことでした。
この里帰りによって、今度は違和感の消えなかった長柄の銚子官女の頭とすげ替えてみれば、表情にも品位にもまるで不足なく、胡粉の色すら瑞々しく輝いて見えるほど相応しく映えたのです。
加えの銚子では駄目で、長柄の銚子ならば最適。双方共小袖の衣装で、刺繍は同じ地紋に刺していて、さほどの差があるわけでもないというのに、この違い。分からないものです。
加えの銚子官女というのは、そもそも長柄の銚子の酒が少なくなった時に補う役目として、長柄の銚子官女の後ろに控える者なのです。いわば目立ってはならないのでしょう。
かつての時代には、親王女雛として作られた頭なのですから、痩せても枯れても、無言の控えに甘んじる加えの銚子では、役不足というものだったのかもしれません。
何れにせよ、流転の末にようやっと安住を得た、雛頭の里帰りだったことなのでした。