長い葛藤と躊躇を越えて、6月6日から制作を開始した巨大な染井吉野立ち木でしたが、5ヶ月を経て漸く完成に漕ぎ着けられたのです。
出来てしまえば、最初の尻込みも、膨大な下仕事に明け暮れた4ヶ月余も、他人事のように思えてしまうのが、いつもながらとはいえ、妙なものです。
繰り返しになりますが、桜といえば山桜とばかり思ってしまい、少なくとも7000輪もの花のみならず、葉も5000枚は必要だと思えば、簡単に請け負えない躊躇ばかりになってしまうのでした。
何しろ、全て1人ですることですので、染めた絹に和紙を裏打ちして5000枚を型抜きし、その葉先に5000回紅を刺し、50,000回の鏝当てを施し、5000本の針金を貼って、やっと葉が出来上がるという工程の途方もなさは、根気の維持だけでも、尻込みさせるのに十二分なのです。
しかし、こんな規模の有職造花など、恐らく前代未聞。それを注文で作れるなど、二度とないだろう好機に違いないのですから、ならば作らなくてどうする。とはいえ、途方もない下仕事に気力を保てるのか。そんな自信など持てないのに、作ってみたい気持ちを消せないといった葛藤の終いは、萼作りにアルバイトが得られたことと、一般的な花見の桜なら染井吉野で、葉は不要と思いついた時でした。
突然、見切り発車のように制作の道を突っ走り始めたのですが、カレンダーに残るメモによれば、それから13日後には5000余輪の花と蕾の鏝当て迄を済ませているのです。
最終的には、花と蕾を合わせて10,663輪。それを小枝に仕立てたのが800本程出来て、植え付けに臨めたのでした。
立ち木の主軸は2本。それに、夏の炎天下に干しておいた、長短様々な梅の枝を打ち付けて木組みしたのが先月半ば。それに、出来得る限り自然の成り立ちを踏まえながら、『花咲翁』よろしく徐々に花咲かせて行ったのです。
一通り植え終わると、ピンセットで枝先の角度やらの微調整に入ります。
全体を眺めながらの作業ですから、隙間を補うように花を植え足したりもするのですが、そうするうちに、左下に1本、右下にも1本。最後の見学者を終えてから更に、左下奥にもう1本と新たに枝を継ぎ加え、合わせて2000輪もの花を増やしたのです。
制作依頼があった頃の文章を辿ると、最初は幅160、奥行130、高さ100cmという話だったようですが、後の電話で大きければ大きいほど良いという要望が知れたので、出来上がりは幅200奥行141高さ158cmにもなりました。
見学に訪れた方々は、一気に開ける襖の向こうに染井吉野の立ち木が現れるなり、一様に感嘆の声を挙げられます。桜はこうして見るものだと聞いたからと、寝転んで枝の下から眺めていた方まで居られました。
この19日、最も目の厳しい方がはるばる京都から来られました。
正座して染井吉野と対面されてから、30分以上も色々な場所と角度から見て居られたのですが、『初めて目に入った時、神が宿るように吸い込まれる心地がして、言葉を失ってしまった。こんな木組みなど出来るものではない。一番の傑作なのではないか。』そして、『恐れ入りました。』と、殆ど褒めたことのない方からの言葉には、嬉しいよりも驚いてしまったのです。
そして、これからの制作こそが、この道の正念場なのだと思わされたのでした。