久しぶりに日がな一日全く制作もせずに過ごしたのです。
3月末に『懸物図鏡』の1月分を復元したのに始まり、この15日まで休むことなく、毎日制作に追われていた依頼の最後は、高さ17cmという小さな桜橘の制作でした。
やたらに難しくて、四苦八苦の挙句にともかく完成とするなり即座に荷造り。送ってしまってから、出来上がりを撮影し忘れたことに気付いたのでした。
それというのも、出来が良いとは言えなかったからなのですが、どうも桜橘のような典型的な職人仕事の範疇にある有職造花というのが苦手なのです。
小さなものほど、枝のどこに花が付くとかという自然の成り立ちを踏めなかったりしますから、枝振りを工夫したところで、自然の縮小にはなってくれないのです。
そして何よりも、私でなければというものではありませんから、面白くないのです。
さて、24種類の季節の花による銚子飾りの制作が、ひと月半にも及んでしまったのは、その間に割り込んだ急ぎの依頼をその都度こなさなければならなかったからでしたが、その中に信じ難い依頼がありました。
関東ではあまり馴染みがないのですが、関西だと葬儀には欠かせない常緑植物である、樒(しきみ)の葉を作って欲しいというのです。
門樒(かどしきみ)といって、寺の門前や葬儀会場の入口に、白布を掛けた樒を花輪のようにずらりと飾ったりもしたようですが、それには葬儀会場に結界を張って、亡くなった方を邪気から守るという意味もあるのだとか。
その樒の、葉3枚のものと5枚のものとの二通り、合わせて55本作ってくれとの依頼だったのです。
以前、寺の境内に白い花が咲いているのを見ていましたし、祭壇に供えられているのも見ていましたから、ああ、あれのことだなとは分かっていたのですが、何故有職造花で誂えようとされるのか、まるで納得がいかなかったのです。
橘(たちばな)が良い例なのですが、その鏝当ては有職造花の代表的、象徴的なものでありながら、決して自然を写したものには見えません。
橘の葉のように、内側に畳まれる形態の葉というのは、そのまま作っても単調になってしまう故か、ヤブコウジだろうが卯の花だろうが同じ鏝当てで、有職造花ではこうなのだとの様式に、自然の側を合わせさせているのです。
樒もそうした葉ですから、葉そのものを主役とするとなると、そもそも造形的な無理が露呈してしまうだけに思いました。
ですから、自然の葉を使った方がずっと良いだろうし、そもそも安上がりでしょうと言ってみれば、勿論正式な儀式には本物の葉を使うのだけれど、それ以外に沢山必要なことがあり、その度に形の良い葉を揃えるのがなかなか大変なのだそうです。
返事を渋っていると、樒自体に馴染みと理解の薄い私を察してくれて、制作の参考に理想的な葉を送るからと言って頂いたのでしたが、届いた葉を見れば、なるほど肉厚ながらスッキリとして、しかも艶やかな深緑の葉といったら、辺りを浄化さえするような不思議な美しさ端正さに見えて、感嘆してしまったのでした。
それぞれの葉の根元に、必ず丸い芽が1つずつ付いているのですが、儀式にはそれが肝心なのだそうで、必ずそれを再現して欲しいと言われます。
私の請け負うことですから、あくまでも有職造花の技法と様式で作ったのですが、これが結構楽しかったのです。さりとて、二度と作ることはないでしょう。
ところで十二ヶ月の銚子飾りですが、まるで思いつかなかった10月の飾りの1つは、友人からの提案から『木通(アケビ)』に辿り着きました。
私はどうしたわけか、朝顔や葛、山藤といった蔓の扱いが得意ですから、アケビは持ってこいだったのです。
木彫彩色のアケビは、先ず熟れた実が覗く裂け目のある全体を彫り、縦割りにして中身をくり抜いた内側に胡粉を塗り、再び貼り合わせて皮の彩色を施したのです。
熟れた実はといえば、薄いグレーに染めた絹を筒に縫って綿を入れ、表面に胡粉で種の点々を描いてから捩じ込んだだけなのですが、そんなプランも作業も、作る者の遊び、楽しみという以外の何ものでもないでしょう。
銚子飾りの24種は『婚礼の有職造花』に全部を載せました。
こんな依頼など間違いなく最初で最後でしょうけれど、1度きりだから良いのですし、この制作にも出来栄えにも、とても満足しているのです。