立て続けの依頼で制作していた2ヶ月間の後、今は呑気に下仕事などをして過ごしているのですが、『創作』のない日々というのは甚だ退屈なものです。
繰り返してばかり言うのですが、30数年通っているお気に入りの温泉宿で、程よい湯加減の温泉や、心尽くしの食事を満喫しては、ゴロゴロとくつろいでいても、大好きな早朝の新幹線の窓側に乗って、富士やら初めて見える海の景色を心待ちしてみたりしていても、所詮は物作りの手を動かしていない時間。
どうにも手持ち無沙汰なばかりなのです。
手が疼いて身の置き所がないという感覚でしょうけれど、この頃などはとみに、どこにどんな目的で出掛けようが、それが再会を叶える数泊であろうと、結局は退屈に辿り着いてしまうのだろうと思うものですから、ならいいか...と行かぬ先から止めてしまったりする始末なのです。
もう随分前の話ですが、足繁く京都に通っていた頃ですら、京都までの2時間半程を何もせずに過ごすのが、とても勿体なくていたのです。
それで、桜の萼(ガク)作りならば車内でも出来ることだし、荷物にもならないしと、和紙を染めて型抜きした材料やら竹串、ボンドを持って新幹線に乗り込み、せっせと手を動かしていたことがありました。
何しろ、ほんの3cmばかりのパーツ上部を濃い桃色に、その下を黄緑に染めた、傍目には紙の切れ端でしかないものに、竹串でボンドを塗りつけて、先ずは筒を作って行くのです。
そんな作業を車内で黙々と繰り返しているなど、隣に座られた方からしたら、甚だ怪しげでしかないのも、無理からぬ事でしょう。
案の定、いつ頃からだったか隣の席の老紳士が、どうやらこの作業が気になって見ているようだとは気付いていたのですが、関ヶ原を越えた辺りだったでしょうか、とうとう堪りかねたのか、『失礼ですが、それはいったい何を作られているのですか?』
と話し掛けて来られたのです。
これこれなのだと笑いながら説明したのですが、こんな手持ち無沙汰の解消法というのも、所詮近所迷惑な事なのかもしれません。
さて先日、ある神社の祭壇に供えられたという、赤・白・黄・緑・黒の五色の平絹を戴いたのです。一定期間祭壇に捧げられて後、その神社に縁のある方やらに下げ渡されるのだとか。
さりとて、きつい原色の上に中途半端な長さのこと。何に使えるわけでもなく、それで誰か有効に使ってくれる方があれば、是非差し上げたいのだけれどと相談を受けた方が、私の知人だったのです。
そんなわけで、畏れ多くも思いがけずも、私の所に到来したというわけなのです。
ちょうど、御所人形に持たせる直径3寸程の薬玉を、紅白の皐月(さつき)で作れないかと相談されていたところでしたから、ならばとその赤平絹を使ってみたのです。
手持ちの紅絹とは、格段に違う堅固な織りと染めの羽二重ですから、小さな花びらでも何とか鏝を当られたのでしたが、出来上がったものを受け取られて直ぐの電話で、とても喜ばれながらも、あの赤い生地はどういうものだと問われたのです。
染めは抜きん出ているし、あの生地であんな薬玉が出来るのならば、是非直径1尺程の薬玉を作って貰えないだろうかと言われます。
実はあれは、神さんにお供えされた羽二重なのですと伝えながら、今までそんな目で私の有職造花を見てこられたのかと思えば、何だか背筋が寒くなったのでした。