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■ 近頃のこと

2022/07/14

女郎花に寄す

一番最初に作った平薬は『枇杷』だったのです。
御所に伝わった粉本にある、12ヶ月の花を平薬図案にした11月の復元でした。

一度にでは無いものの、12ヶ月全てを復元したのですが、その7月が女郎花で、当時は造花の蕾にする、細い紐の先端に胡粉を丸く固めたような材料を束ねて黄色に彩色したのを針金に括り、それを女郎花の先端の構造に束ねて仕立てたのでした。

もちろんあまりに不完全だったので、それから女郎花作りの試行錯誤が始まったのです。

その何年か後に思いついたのが、女郎花の細かい粒状の蕾をかすみ草のドライフラワーの粒々で見立てた作り方だったものの、それでは女郎花ならではの構造と形である、例えばカマキリが横たわって昼寝出来るような、平たい花の上面を再現し得ませんでした。

しかも、有職造花の材料といえば絹が原則なのですから、出来上がりの違和感を否定出来ず、それで粉本からの復元は、7月の女郎花だけを作り直し出来ないまま今に至った先日、突然閃いたのです。

桜や梅の雄蕊と同じものを少し大きく作り、荒い岩絵具を花粉のように何度も付けて、肥大させた黄色の粒々を蕾に見立て、それを女郎花の構造通りに束ねれば、それらしく再現出来るのではないかと思い付いたのです。

直ぐに作ってみたのですが、小枝と小枝の間がどうしても離れ過ぎて、女郎花ならではの花の密集になりません。
女郎花の花の平面こそどうにか再現出来てはいるものの、やはり女郎花とするには無理だったものですから、一度は諦めたのです。

しかし数日、折につけそれを眺めるうち、束ねた小枝の上を黄色に染めた真綿で覆ってはどうかと思い付いたのです。

ダメ元で、『懸物図鏡』にある女郎花図案の復元としてそれを植え込んでみれば、成程それなりに見えることは見えるのですが、真綿はなかなか扱いに厄介で、花があまりにも朦朧としてしまい、具体性に欠けてしまうのです。

そこで、よく切れる鋏で殊更ぼんやり見えてしまう真綿のダブつきを刈り整えれば、少なくとも遠目には、それなりの風情も醸し出されて見え、何とか有職造花での女郎花になったように思えたのでした。

図案はあくまでも絵空事。自然の造形故に、女郎花が有職造花で再現が叶ったことなど、実は無かったのではないかと考えざるを得ないほど、その製法といったら、途方にばかり暮れさせられて来たのでしたが、先日、恐らく大正から昭和初期の京都で、有職造花の七夕花扇が作られた記録が残ると聞いたのです。身体が震えました。

七夕花扇には沢山の女郎花が使われますから、確かに京都の有職造花として女郎花が作られたのは確かでしょうけれど、いったいどんな作り方をされたものか、私には想像もつかないのです。

もう7月半ばだというのに、毎年あれほど沢山咲いた女郎花が、今年の庭には幾らも姿がありません。

私の女郎花作りがどこに到達するのか、まるで予測もつきませんが、例え有職造花として満足のゆく作りに辿り着けたとしたところで、社会には何の影響もありません。

女郎花 パーツ

女郎花 小枝

女郎花 平薬

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