漱石は、『智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 』と嘆きましたが、何やかや横槍ばかり入れられた人生では、苦もなく順調に進んでいると、きっとまたそれを妨げる良くないことが起きるのだろうとか思ってしまうのです。
ここ数年、冬枯れの野が一気に花盛りになったような好調さで、連日の制作は一際心地よく、プランは溢れるように出るし、それを欲しいと言って下さる方々にも恵まれていました。
恐らく、自分の代表作になるのだろう巨大な染井吉野も完成、納品出来たりと、こんな人生に到れるなどとは思いもしませんでしたから、ふと、このままで済むものだろうかと、訝しい気持ちに襲われたりしていたのです。
人間ドックで、ガンがみつかりました。
しかも、珍しい特殊なガンの上に、位置も珍しく厄介なので、場数を多く踏んでいて、少しでも処置に融通が利く病院が良いとの助言で、国立ガン研究センターに行けば、珍しい症状で人間ドックの写真では進行の度合いも分からないとか。
最悪だと術後にハンディを背負うことなりそうだと言われれば、ほらまただ・・・とやり切れない気持ちが溢れました。
好調に刺される横槍ばかりでなく、自分に関することとなると、何故何でもかでも『珍しい』と言う言葉が付いて回るのかと、心底我が身を恨めしく思いました。
しかし私の最も重大な問題は、手術と入院の間、猫をどうしたものかということなのです。入院が3週間と聞いて、いよいよ困惑しているのです。
自分のことは何とでもなるけれど、話して聞かせられない動物のこと。ご飯は仲間たちがあげに来てくれることになったのですが、私が家に居ないと不安になってしまうのか、ともすれば家を出てしまう、私にしか警戒を緩めないトラが心配なのです。
去勢してからすっかり喧嘩が弱くなり、どこをどうしていたのか、6日間も姿を消して戻ってから、めっきり臆病になってしまったトラですから、野良に戻って生き抜けるとは思えない・・・といって、動物病院のゲージに3週間も入れられるのを、野良だったトラが望むでしょうか。
退院してきた時、最早トラの姿は無いのではないかと思えば、それが置いて行かれたと思われてのことなら、あまりにも不憫でやりきれないのです。
皮肉といえば皮肉。こんな毎日ながらも制作は頗る順調で、依頼の茱萸囊を4つ、真の薬玉を1つ、平薬の直しも2つこなして、その出来も良いのです。
真の薬玉などは、今までで最もスッキリと端正に出来ましたが、朝に仕上げたその昼過ぎには、訪ねて来られた方が、茱萸囊と共にサッサと引き取って行かれました。