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■ 近頃のこと

2022/09/23

眠りに落ちる ─ 無邪気な安楽 ─

ふと目が覚めると、まだ夜中の1時過ぎだとかいう事が続いているのですが、そのまま眠れなくなるというのではなく、枕元に置いたスマホでメールを読み直したりしているうち、いつの間にかまた眠りに落ちてしまうのです。

起きてしまった目は爛々に思えていながら、次に気付く時には数時間も過ぎていて、枕元どころか、時には背中の下にスマホが転がっているのです。

眠りに落ちた瞬間というのは必ずあるのですが、居眠る時であろうが、麻酔のためであろうが、意識が消える瞬間を自分で把握するなど、所詮出来るものではないのでしょう。

その瞬間を突き止めたいという理由から、私はずっと全身麻酔に興味津々でいたのでしたが、初めて全身麻酔の手術をしたのはもう20数年も前で、それ1回きりなのです。

テレビドラマで見ていたような冷たい印象の手術室に入り、丸いライトの白い光に照らされた時は、恐ろしくて二度とこんな所に来るのは真っ平だと思ったのでしたが、それでも麻酔に落ちる瞬間を突き止めたい、突き止めてやろうと、そればかりはやる気満々だったのです。

点滴の管から何やら冷たい液が入り込んで来たと思えば直ぐ、『では始めます。』とマスクを装着させられた時には、いよいよだと身構えたのでしたが、次は『大木さん!大木さん!起きて下さい!』と言う大きな声で起こされたのでした。
即座に、あぁ失敗したと思いました。

悔しいやら、残念に思ったままの翌朝、麻酔医という若い方がベッドまでやって来られて、いかがですか?と聞かれたのです。
それで、成し遂げられなかった顛末を話したのですが、途端に立てた人差し指だけで私の顔を指しながら、『でしょッ!』と言われるのです。

怪訝でいる私に、
『大木さん、麻酔が効いた瞬間、手術台の上で起き上がろうとしたので、皆で押さえ込んだんですよ。筋肉質で力が強いから、大変だったんですから!』
と言うのです。
『そら、知らぬ内にご迷惑お掛けして。』
と、2人で笑ったのでした。

先日テレビで、山本周五郎の『赤ひげ』を見ていると、虐げられ続けた挙句にグレた若者が、労咳(肺結核)で最期を迎えるシーンがあったのです。

女医の言葉をきっかけに、改心の善行が出来て直後の最期でしたから、女医に一言の礼を言い終えると、静かに目を閉じたのですが、その目が二度と開かないと知るのは、取り巻く人達だけのことだったでしょう。

眠りに落ちる瞬間は、必ず目覚めるなどという確約の上に訪れるのではありませんし、やがて目覚めるか、二度と目覚めないかの違いなど、まるで当人の認識外のことなのです。

臨終の目を瞑った本人は、毎日眠りに落ちる時と少しも変わらず、突然意識が途切れただけのこと。それが臨終であったなど知るはずもないでしょう。

すると、通常に逝ける者なら誰にでも、眠りに落ちる瞬間の無邪気な安楽だけは、死に際に必ず約束されているということではないのかと、そんなことを思いながら見ていたのでした。

思いがけず到来した幣帛(へいはく→天皇が伊勢神宮に供えた五色の絹布。これは今の上皇さんの幣帛)だけで、真の薬玉を作ってみました。

白は、羽二重以外に紗(しゃ)のような硬い生地もあってそれを使いましたので、よりスッキリと切れ味の鋭い花になりました。

随分と厳かに出来上がるもので、作った本人が一番驚いているのです。
尚、五色紐は仮につけたものです。

真の薬玉

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