カメラ付きの携帯が出来てから、その性能が進歩するほど撮影は携帯でばかりになりましたが、スマートフォンに替わってからは、それこそ何もかもの撮影がそれのみになってしまいました。
画像は鮮明になるばかりですし、アングルが決まりやすく、その上トリミングやら角度調整やらも自由に出来ますから、私にとってはそれで十分で、デジタルカメラを使う必要など、全く感じなくなってしまったのです。
有職造花や丸平コレクションのホームページに載せる画像ならば、是非デジカメの一眼レフとやらで撮影したのを載せられたらとか、載せて欲しいとかの助言や要望を度々頂きます。
とりわけ、出版する研究書に使わせて欲しいと言われる画像は、スマホの撮影では話にならないそうで、必ず撮り直し依頼になるのです。
しかし、有職造花の制作以外、ほとんどが面倒くさくばかりになっているのに加え、あくまでも写真は写真だけのことで、所詮実物とは別物なのだし、時には実物より良く見えたりする事があろうとも、遠近を捉えられない写真で、立体造形を伝えられるとは思えないのです。
いずれにせよ、コレクションなど手元にあるのだし、いつでも撮影出来る、いつでも撮り直せるという気持ちでいて、わざわざ写真に残す必要を感じないものですから、相変わらず撮影はスマホ一辺倒のままです。
昔は、作る物の出来が良かったりすると、カメラで撮影しては、写真屋でくれる簡単なアルバムのようなものにまとめていたりしましたので、ふとした折にそれが出て来る事があります。
つい先日も、まだ丸平大木人形店の雛を殆ど知らない頃、先ずは勉強のためにと何体か作ってみた官女や随臣の写真を探していたら、有職造花を作り始めて間もない頃に作った、籬(まがき)の菊と、垣に入れた紅葉の立ち木の写真が出て来ました。
籬の菊は、丸平大木人形店で誂えた『六番脱ぎ着せ親王七寸下物二十一人揃』の雛段に飾るために作ったのでしたが、まだ針金に巻く絹刺繍糸を手に入れる術すら知らず、太い絹縫い糸をバラして使っていたのです。
紫・白・赤・黄・緑という陰陽道の5色を菊の花色と葉で表すことにして、それをお能の揚幕の順序に植えたのでした。
当時は、一筋鏝1本しか持っていませんでしたし、当然抜き型などはただの1つもなく、確か960枚程の紅葉の葉のギザギザまで、全て手で切り出したのでした。
紅葉の制作は籬の菊よりもう少し後で、有職造花制作の経験を多少積んでからの事でしたが、これも七寸仕丁の脇に置いて、秋の光景にするために作ったのです。それ故、桜橘のように垣の中の立ち木に仕立てたのでしたが、この垣も自作なのです。
戦前の紅絹(もみ)独特の、少し黒ずんだような紅を活かしたくて、殆どの葉を真っ赤にして、紅葉の真っ盛りにしたのでしたが、やはり単調に見えるとの感想を聞いて、後から向かって左下だけに、色付く途中の黄色の葉を少しだけ加えたのでした。
その後、自作の雛数体は、全て燃やしてしまいましたし、籬の菊も解体して切子燈籠の装飾に使いましたから、今は辛うじて写真に姿を留めるだけになりました。
いつの間にか過ぎた長い時間の後に、突然現れた写真からは、道具に頼らない手間を厭わず、せっせと黙々と作業していた、あの当時の新鮮で懸命な姿勢が最も見て取れたのです。
それにしても、技術の差こそあれ構成の感性などといったら、少しも変わらないとすら思います。
また、出来上がりは既に有職造花足り得ていると見えれば、資質が進歩したわけではないという事なのでしょう。
道は未だし。
写真が伝えたものは、造形よりもシビアな問題なのでした。