月別アーカイブ

■ 近頃のこと

2022/12/24

『当たり前』の話

もう遥か昔のことになりましたが、近所には中気(脳卒中)での寝たきり老人が、それこそ一軒置きくらいにも居ながら、ボケ老人(認知症)などというのは一人もいなかったのです。

陰気臭く薄暗い奥の部屋に寝かせられている、老婆の白髪頭だけが見えたことがあり、子供心にも見てはいけないもの、触れてはいけないものに思えて、今でも目から消えないのです。

逆転した嫁姑の力関係からの、隠蔽と悲壮。

それはともかく、毎年5人ずつも死んで行った寝たきり老人は、後から知れば80歳にもならなかったようで、そもそも寝たきりになるまいが、米寿を迎えられた老人など、ただの1人も居なかったのが、当時の『当たり前』だったのです。

私は常々、認知症は文明の利器による産物で、労働が著しく軽減され、豊かな食生活(栄養環境)に恵まれての長生きこそが、皮肉なことに認知症発生の要因ではないかと考えているのです。

はたから90年も生きるようには出来ていない人間なのにもかかわらず、肉体ばかり長持ちしてしまいながら、脳はそんな耐用年数など備えていないのですから、ついて行けないが故の『当たり前』が、ボケなのではないかと思うのです。

ですから、昔はボケ老人など居なかったというのではなく、ボケるまで生きられた人など居なかったという『当たり前』だけなのでしょう。

そんな昔からしたところで、まだそこまでの年寄りでもないというのに、この頃の忘れようといったら、ひたすら嘆かわしいばかり。

つい先日も、コロナワクチンの接種をすっぽかしてしまいました。

その日、わざわざ東京からカレンダーを持って来てくれた友人が帰ってから、ワクチン接種に出掛けるにはまだ早いと制作に戻れば、それきり忘れてしまったのです。

メールやLINEは長文なのが『当たり前』の日常にも関わらず、誰にどの件をどこまで書いたのか記憶されず、同じ事を書き送っていたのに気付くなり、今までどれだけ同じことを書いていたのだろうかと冷や汗するのです。

そんなのは、歳をとっての『当たり前』だと開き直ろうものならば、そんなことを言っているから益々ボケるんだと言われれば、勿論その方が『当たり前』というものでしょう。

さて、『当たり前』の話をもう一つ。

先々月に少し事情があって、普段は全く依頼を受け付けない雛人形用の桜橘を、京都に伝わる有職造花の木組みに倣って、大中小を6組作ったのです。

その木組みたるや、量産するのに極めて理に叶いながら、造形としても非常に合理的で、成程こんな風に作られていたのかと、ひたすら感心させられたのですが、出来上がった桜橘といったら、正に『無国籍』なのでした。

花の大きさが違うとかの理由も大きくあるのですが、京都に受け継がれた桜橘ではまるでなし、さりとて私なりの桜橘でもなしという『無国籍』さに、唖然とさせられ、虚しさばかり残ったのです。

私はずっと、自分の資質が何らかに特別となど思えませんでした。それで、私に出来たのだから、有職造花は誰にでも出来ると公言して来たのです。

独学だったからこそ、技術さえ会得してしまえば、誰にも『当たり前』に作れると信じて疑わなかったのです。

しかし、図らずも量産を踏まえた桜橘の模倣制作によって、恐らくそれは違っていたのだろうと痛感させられたのでした。

決まった手順での有職造花作りは出来ないということこそが、私の『当たり前』だったように、発想による創作を『当たり前』とし続けられるのは、限定された資質が条件なのでしょう。

それで、ウインドウ用という最も大きな桜橘だけは、自分の『当たり前』で作らせて貰ったのです。店の顔であるウインドウに、最早無国籍のものを飾るなど出来なかったのです。

人生など、自らの『当たり前』に添うのが最も自然で妥当なのだと思いますし、その『当たり前』は、万民が違って然るべきなのです。

大木素麺とは仲間の軽口ですが、私の人生など、流し素麺が青竹の中を流れ行くようなものなのでしょう。青竹は添うべき人生の道。素麺は自分というわけです。

『当たり前』に青竹に添い、『当たり前』に流れに身を任せる。掬われるのも掬われないのも時の運だと『当たり前』に受け入れ、掬われようと、嫌なら箸から滑り落ちたら良いのだと、『当たり前』に胸を張る。

さてさて来年は、何処にどんな風に流れてゆくやら。せいぜい気まぐれの神様とやらを持ち上げて、流れを楽しんで参りましょう。

沢山の桜橘

大きな桜橘

ページトップへ