月別アーカイブ

■ 近頃のこと

2023/01/23

梅の花開く

凍えた朝、奥の間の廊下の雨戸を1枚だけ開けると、いつの間にやら裏の竹山に、白梅が数輪咲き始めていました。柔いだ蕾が解れるように、ほっこりと開いています。

梅の花のある有職飾りは、嶋台、掛け蓬莱、羽子板などという、蓬莱山を模した有職造花をはじめとして、それこそ沢山ありますから、今までにどれほど作ったかなど、その数は想像すら出来ません。

毎年の事なのですが、こんな時期の梅を目にして即座に浮かんでくるのは、何故か祖母の面影なのです。

祖母はひどく腰が曲がっていて、どこかに出掛ける時には、いつも隙間なく目を詰めた竹籠を背負って行ったものでしたが、それは持って行くべき荷物がない時にもそうだったのです。
その時は決まって、大きめの石を一つ入れるのでした。

それこそ地面を舐めるばかりの腰曲がりだったからでしょう、後ろに引っ張られる籠の重さが助かるのだと話していました。

当時は、リムという名前の飼い犬がいたのですが、その頃は夜になると鎖から解き放して、朝まで自由にさせることが普通だったのです。

リムは非常に賢い犬でしたが、或る夜外に出たら、スフインクスのように腹這って門の方に向かい、動きもせずに見張りの様相でいたのでした。

夜ばかりか、昼に放したところで、何を咎められることもなかったのでしょう、祖母の親しいお婆さんが、田んぼを挟んで300mほど離れた向かいの集落に住んでいたので、祖母がそこを訪ねる時には、いつもリムをお供にと放していました。

するとリムは、さっさとその家に先回りして、祖母の到着を待っていたのだそうです。

先日、生前母が座っていた掘り炬燵の脇に、縦長の本棚がそのままにしてあるのをふと見れば、母の女学校時代の写真やらを主に収めた、古いアルバムがあったのです。

はぐっていたら、貼られた写真の隙間に、小さな写真が紛れ込むように挟まれているので取り出して見れば、祖母と行った秋の大運動会のときの写真なのでした。

私が4歳になるかならないかの頃なのですが、それは強烈な体験として、ずっと記憶に残り続けている、まさにその時が写されたものなのです。

当時の運動会といったら、小中学校合同で行われるばかりか、お揃いの黒の会服を着た婦人会による踊りやら、父兄や青年団も参加する競技が組み入れられる大きなイベントでしたから、通う児童生徒のいる家ばかりでなく、こぞって見物に行ったのです。
校庭にはテキ屋すら出ました。

そうして私も、祖母と2kmほどの道を歩いて見物に行ったのでしたが、筵を敷いた見学席で隣り合わせた同じ集落のお婆さんの顔に、私の目はすっかり釘付けになってしまったのでした。

いくら年寄りと言っても、この世にこんな皺くちゃな人間が居るものかと驚愕してしまったのです。

とんでもない数の深い皺が、恐ろしいほど顔に筋を付けていて、私にはとても祖母と同じ年寄りとは思えず、鬼なのではないかとすら思いました。

祖母と隣の女性が同じ方向を見て、何かに目を見張らせられているというのに、私にはまるで目に入らず、老女の顔から目を離すことが出来ないでいた様が、そのまま写されているのです。

話しかけられるのに幾らか怯えでもしていたのか、祖母の膝に置いた手は、そんな内心の表れだったのかもしれません。

残念なことに手が見えるのみで、その皺くちゃの顔は写されていませんが、それから半世紀もして知ったことによれば、そのお婆さんはその数年後に庭で倒れ、そのまま亡くなったとのこと。

まだ70を幾つか越えたばかりの歳だったというのに、また驚かされたのでした。

祖母は春分の日の前日、テレビの近くに相撲を見ていて突然倒れました。クモ膜下出血との見立てでしたが、東京から駆けつけた伯父にも看取られて、翌日の午後に亡くなりました。彼岸の中日は、祖母の誕生日でもありました。

沈丁花は寿命の短い木だとか聞きはするものの、祖母の植えた赤紫の沈丁花は、庭にこんもりと大きな木だったのですが、祖母の死からさほどの時を経ず枯れてしまったのです。

一度、祖母の墓の隣に沈丁花を植えた事があり、毎年花を咲かせていたのですが、それもそこそこの大きさに育った頃、突然枯れてしまいました。

白梅、水仙、みつまた、沈丁花、猫柳。
これらは皆、祖母と縁(ゆかり)のある早春の花々なのですが、とりわけ思い出深い沈丁花と猫柳は、既に庭から絶えて久しいままでいます。

私が有職造花によって花開かせる幾つもに、祖母への想いと償いの気持ちがあります。
私の花に情緒なるものがあるならば、きっとそのせいなのだろうと思うのです。

幼い頃の大木素十

犬

造花

ページトップへ