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■ 近頃のこと

2023/02/08

湯気立つ朝

江戸町内にある『つるや』という一膳飯屋の女料理人を主人公にした『みをつくし料理帖』という時代劇が、数年前NHKで二度に亘って放送されましたが、そこで度々、湯気が温かく印象的に映し出されていたのです。

主役は言うまでもなく、子役から脇役、端役、音楽から小道具、演出に至るまで申し分ないと思えば、なるほど脚本は、『ちりとてちん』『カムカムエブリバディ』などの藤本有紀さんなのでした。

料理人の話ですから、湯気は当たり前なのでしょうけれど、例えば合わせ出汁を完成させた場面では、味見の口元から立ち上る湯気を朝日の逆光に際立たせた挙句、それを使った最初の料理が湯気立つ茶碗蒸しという心憎さです。

殆ど家財道具すらない長屋の早朝に上がった、安堵の湯気です。

千葉県香取郡神崎町の農民歌人であった椿一郎さん(1896~1984)は、佐佐木信綱門下で、稲作、畑作、山仕事などの農業の合間に、その生活の光景や心情を歌に留めて居られたのです。

佐佐木信綱は、当時の日本で理不尽な差別に晒された人達にこそ手を差し伸べられた方だったとか。生活に余裕のなかった椿さんにも、出版の資金援助を申し出られたとのことですが、それもあって椿さんは、生涯に数冊の清楚な歌集を残されています。

時に痛々しいまでの誠実さと謙虚さは、佐佐木信綱がラジオで万葉集の講義をされた折り、放送時間よりずっと早くからラジオの前に机を据え、居住まいを正して正座されていたという逸話が語る通りに思われます。

私が農民歌人椿一郎を知ったのは、機関士をされながら、やはり信綱門下で歌を詠まれた飯田恒治さんと、ひょんなことから知り合ったことに始まるのです。

飯田さんは既に90歳になられていましたが、若き日に椿さんから歌の手ほどきを受け、信綱を紹介され、『機関士の歌』という歌集も出して居られたのです。

少しばかり認知症が入っていたようでしたが、1m歩くのに10歩も小刻みに進まなければならないほど足が弱って居られたというのに、何故か私を何度も訪ねてくれたのでした。

早くに未亡人となり、幾人ものまだ幼い子供を女手一つで育てられたお母さんのこと。それでも全く働こうとも助けようともしなかったという姑とその言い草を、その歳になろうと無念さはいや増す様子で、およそその気が知れないと、何度となく悔しそうに繰り返されました。

私は、所謂『鉄』に属するSLマニアでは毛頭ないのですが、物心ついた時から小学校2年生まで、機関車ばかり描いていたのです。

窓枠に片腕を乗せ、颯爽と運転する機関士に憧れもしましたから、飯田さんが短歌の話をするのを遮ってすら、矢継ぎ早に機関車と機関士のことを質問するにも、楽しそうに懐かしそうに詳しく話してくれました。

運転席の後ろにある、石炭が盛り上がって見えた箱は、燃料の石炭がビッシリと詰まっているとばかり思っていたのが殆ど水槽で、蒸気機関車の走行に必要なのは大量の水であり、石炭はそれほど要らないのだと聞いては、成程と目から鱗だったのです。

走行中、煙突から拳ほどもある石炭の火玉が飛び出たりしたのだそうで、それが稲藁に落ちたりしては度々火事を起こしたのだとか。自分の運転でのことでもないのに、よく謝りに行かされたそうです。

トンネルに入る時は、その水に手拭いを浸して口に当て、吸う息から煙を防ぐのだそうですが、罐焚きの暑さから、時折無意識でその水を飲んでしまったものだけれど、こうして90までも生きているのだから、別に体に悪いことも無かったのだろうと笑って居られました。

さて、椿一郎さんの歌からは、当時の農村生活のみならず切羽詰った暮らし向きまで知ることが出来ます。

それというのも、農村での営みをありのままに詠めば良い。そこにこそ価値があるという信綱の教えの通り、日々の生活の嬉しさも哀しさも辛さも、季節の移ろいの中に、その光景と心情がありのままに詠まれているからなのです。

その一首に、湯気立つ朝が詠われています。

あたためし米のとぎ汁息つかずに馬は飲みたり今朝の霜の白さ

真っ白に霜が降りた早朝の厩(うまや)。少しでも体が温まるようにと、米のとぎ汁を温めて与えれば、馬は息もつかずに飲んだというのです。

椿一郎さんの歌は、穏やかな色彩に包まれているものが多いのですが、この歌は『白尽くし』で詠まれているように思えます。

米、とぎ汁、霜。そして、直接書かれてはいないものの、竈(かまど)で温めた米のとぎ汁から立ち上っていたろう『湯気』の白です。

馬の息と詠人の息もまた、厩に白く湧き上がったことでしょうけれど、飼馬への思いやりと、それを汲み取る信頼。黙々と繰り返される営みに、束の間の湯気であったろうと、少しでも残り続ける温みであればと思いました。

人生を振り返って、湯気の立つ様々な光景を思い起こす時、それらが例え、筋の入った古いモノクロ映画を見るようであったろうと、その湯気の白さと温かさばかりは褪せる事なく、そして何らかの安堵が共にあることに気付かされるのです。

今は寒さが身に染みますから、殊更こんな事を思い返したのかもしれませんが、このところの制作はといえば、初節句の雛に添える、直径四寸程の桜橘作りでした。

決して楽しいとは言い難い、決まりものの有職造花作りですが、花を植え、蕾を加え、葉を足しと、どんどん華やかに仕上がって行く毎に、湧き立って思える心持ちはといえば、そう、それもまた寒さの朝に上がる湯気の如くでしょうか。

2組の桜橘

桜の球

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