月別アーカイブ

■ 近頃のこと

2023/03/04

源氏枠御殿を飾る

雛の節句だからと、取り立てて雛飾りすることはないのですが、今年は仲間に出来た孫の初節句だというので、12年ぶりに源氏枠御殿を組み立てたのです。

源氏枠御殿とは、京都に伝わる総檜造りの屋根無し御殿で、勿論内部に雛を飾るのですが、私の所蔵するのは、七世大木平蔵の監修により、著名な京都の指物師によって制作された、両脇板戸の端から端までが270cm、御殿内部が一畳という巨大なものなのです。

これほどの源氏枠御殿など、大きさ、水準共に、恐らく日本に一つきりでしょう。

もう20年も前のことですが、私の丸平雛コレクションでの雛展が3年目になった時、何か趣向を変えた展示にしたくて、簡単な木枠で御殿紛いのものを自作しようと考えた事があったのですが、それを丸平さんに伝えると、それならばこちらで源氏枠御殿を作りましょうと申し出てくれたのです。

当時の私は、源氏枠御殿という物を見たこともありませんでした。

送られて来た源氏枠御殿の規模に、すっかり仰天してしまったのでしたが、襖や御簾、畳は素材だけが送られて来ましたので、その加工や全ての絵付けなどはこちらでして、完成させたのです。

平板に畳表を張り、繧繝縁を施し、襖の枠を仕立てて漆塗しては襖絵を描き、2枚の御簾に縁を貼り、朱色の房と御簾の金具を付け、内部の側面と板戸にも絵付けして仕上げたのですが、確か展覧会まで日程に余裕がなく、8枚の絵を5日で描いたのでした。

何しろ、2011年の雛展以後、1度も出したことがありませんでしたから、御殿の組み立て方を思い出すのに骨が折れたのはともかく、パーツを入れた箱が随分重く感じられるようになってしまい、組み立てはこれが最後かと思わされました。

今回御殿の中には、六世大木平蔵作五番御引き直衣立像と、七世大木平蔵作尺居稚児を入れましたが、それは3回の雛展で源氏枠御殿を飾った時に入れた3種類の雛のうち、意外にも最も映えたのが、天皇の普段着だったという御引き直衣の立像だったからなのです。

また、初節句の写真として画像やハガキなどで披露されるのに、最も一般的でなく、見る機会もない雛の方が目を引くだろうとも考えたのです。

初孫が女の子だと聞いた時、初節句用に丸平大木人形店の雛を誂えさせようと画策したのですが、娘の方が要らないと言ったのです。

何故かと聞いたら、大木のジジイ(そう呼ぶのです)のコレクションがあるのだし、それを飾らせた前で写真を撮れば良いからと言ったのだそうで、図々しいのもそこまで行くと、かえって気持ちが良いと、丸平さんも笑って居られました。

36年前にその娘が産まれた時、仲間内で初めての子供でしたから、取るものも取りあえず見舞いに駆けつけたのです。

何せ、ミスBVD(バカ、ブス、デブ)と呼ばれていたのが母親になってしまったのですから、何が生まれていても良いようにと、お見舞いは猫の餌、犬の餌、鳥の餌、金魚の餌、亀の餌、うさぎの餌と、手に入るだけ持っていったのですが、お母さんは『どれ1つ使えるものがない!』と呆れて言うし、同室の妊婦さん達も大笑いしていたのでした。

産まれて直ぐがその有様の上に、物心ついた時からそんな私達と一緒にいたのですから、頭の割に切り返しばかり達者に育った娘です。

初めてアパートに一人暮らしした時、鉢物を贈られたことがあったのですが、しばらくした時『おまえ、もうあれ枯らしたろ。』と聞いたら、『いいえ、心の中で綺麗に咲いています。』と答えたのです。勿論、貰って直ぐに枯らしていたのでした。

旦那と赤ん坊と仲間夫婦と連れ立って、例によって昼飯時に撮影に来ましたが、源氏枠御殿の大きさに仰天しながら、親子3人で沢山の写真に収まり、用意したそば飯をおかわりまでしてから、有職造花の桜を添えた作った名札まで抱えて、帰って行ったのでした。

御殿全体

御殿 上から

襖絵

桐の絵

赤ん坊

ページトップへ