上巳の節句には、曲水の宴(きょくすいのえん)という、雅な遊びがあります。
宮中や貴族の屋敷で陰暦3月3日に行われた年中行事の1つですが、庭園に設けた曲水に沿って、平安装束に身を包んだ参会者が座ると、上流から水に浮くように作った木彫彩色の水鳥の背に、酒を注いだ杯が乗せられて流されるのです。
それが自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、流れ着いた杯を手に取って酒を飲んでから、また杯を戻して次へ流すという遊びでした。
その杯と、それを乗せる木彫彩色の水鳥とを合わせて羽觴(うしょう)と呼ぶらしいのですが、元は雀の頭部や翼に作られていたのだそうです。
絵などで目にするのが水鳥形ばかりなのは、水に乗って流れる鳥というので、自然と雀と替わったのかもしれません。
つい先日、上巳の有職飾りとして、桜のひと枝をという注文があったのですが、それを曲水の宴を見立てた有職飾りにすることは出来ないものだろうかという相談を受けたのです。
即座に思いついたのが、桜のひと枝に羽觴を添えるプランでした。羽觴は木彫彩色のことで様々な形があるのですが、以前おぼこの雛に持たせるのに作ったことがあるのです。
子供仕立ての雛に持たせる羽觴のことで、可愛らしい彩色にしたのですが、今回の依頼者ときたら、水面に散る花びらも欲しいと言われる通人の気配でしたから、東京国立博物館の所蔵という、渋い彩色のものに決めたのです。
私は、三宝か八寸に載せる設定ばかりでいたのですが、納品してから届いた画像は、曇りのない塗り台に載せられたものでした。
羽觴や桜が塗り台に映る様といったら、まさに水面の如しでしたから、あぁ、こんな飾り方も出来るのだなと、至極感嘆してしまったのです。
その方からは、花雛の依頼も頂きました。
花雛は、鈴木其一らの江戸琳派が描いていますが、立ち雛の頭の代わりに花を挿した、旧暦上巳の節句ならではの可憐な雛飾りです。
前々から、その軸の写真を目にする度に、一度作ってみたいと思っていたものでしたから、渡りに船とばかり先ずは丸平さんに畳台をねだっておいてから、上巳の有職飾りを納品するなり、直ぐに作り始めたのです。
立雛の胴のことで、張りと強度が必要ですから、幣帛(へいはく)の紗と紅絹(もみ)をそれぞれ裏打ちして貼り合わせ、鈴木守一の絵を参考に松と藤花を描きました。
菜の花にはやはり幣帛の黄色を使い、レンゲも作って畳に据えた胴体に挿してみれば、紅白の水引きも鮮やかに引き締まり、花色の配分やらも可憐に美しく品格もあり、自分で作りながら、惚れ惚れと見入ってしまいました。
花は空洞の胴体に挿すだけのことですから、例えば紅梅白梅や白と黄色の水仙、連翹に桃花を一対に組み合わせるなど、早春の花を使えば何種類もの花雛に出来るのです。
それにしても、明治政府が西洋に肩を並べる必要を、どれだけなりふり構わず切実にしたところで、日本ならではの自然環境からの『節句』まで、新暦に替えることはなかったのです。
そもそも新暦での節句に、本来の情緒など宿ろうはずがありません。新暦3月3日に桃の花など咲きませんし、7月7日は梅雨の盛りで星空に恵まれず、9月9日は未だ残暑真っ盛りで、菊など蕾を見つけるにも苦労なだけなのです。
ただでさえ、今や五節句を知る者など稀になり、ましてやそれを追い求める者など絶滅寸前だというのに、羽觴とか花雛とかを依頼によって制作出来る私は、それだけで幸せ者なのでしょう。
横浜人形の家での展覧会も、あと僅かになりました。足を運んで頂いた方々に、厚く御礼申し上げます。