横浜人形の家での展覧会も、入館者数の目標をクリア出来て終わられたとか。撤収作業に行って耳にすれば、やはり安心してしまいます。
有職造花など至極マイナーで、まさに絶滅危惧種どころか絶滅寸前以外の何物でもない伝統工芸なのにもかかわらず、せっかく展示を申し出て下さったのですから、あまりにも集客力がなかったでは、気の毒な思いばかりが強かったのです。
代表的な有職造花として『嶋台』は欠かせないものながら、既に手元から離れていて、お借りしなければ展示は叶わなかったのでしたが、その荷造りはとても厄介で、制作する者でないとなかなか上手く出来ないのです。
何しろ、買って頂いた物をお借りしたのですから、それだけは人任せには出来ず、朝7時に家を出て、撤収と荷造りのために横浜に向かえば、染井吉野は既に満開を過ぎて散り始めているし、山桜すらすっかり満開を迎えているという有様です。
季節の移ろいの早いことは、如何にもその通りなのでしょうけれど、遅ればせながらであろうとも、そんな風に浮世離れした制作三昧に暮らせている『今』に至れた幸運を噛み締めたのでした。
さて、長年の念願が叶った『花雛』を納品すると同時に、今度は『松に藤花』の平薬制作が提案されたのです。
松に藤花の図案は、よく神雛(紙雛・立雛)の胴体に描かれたり、刺繍されているのを見るのですが、『枕草子』に「めでたきもの、唐錦、飾り太刀・・・(中略)・・・色合ひよく花房長く咲きたる藤の花の松に掛かりたる」という一節があり、清少納言がそう感じた背景には、千歳の松とそれに掛かる藤に、皇室と藤原氏との関係を喩えた事があるのだとか。
藤原氏であろうが、隣のオヤジであろうが、私にとってそんなことはおよそどうでも良いのですが、取り分け有職造花での松と藤花の組み合わせは、別格に蠱惑的でありながら、ともすれば通俗に流れがちでもあり、とうとう今日まで作らずにいたのです。
今回の提案といったら、松に藤花のみならず、御簾も組み合わせられたらというのでしたから、まさに小躍りする程の願ったり。
いきなり制作意欲を掻き立てられてしまい、納品が立て続けになる躊躇にも、作ったことを伝えなければ良いのだからと自分に言い訳しながら、とにかく早く作りたい一心だけで制作に取り掛かったのです。
平薬の制作は、昨年の7月以来の事でした。
得意の蔓を何本も巻き足してみたり、花房を増やしたりと、まさにトントン拍子に制作は進んで仕上がれば、赤い御簾が色彩の対比を醸し出したのも予想通り、端正にスッキリとまとまって見え、安堵したのでした。
全て横浜の展示に使われていた五色紐を2組だけ持ち帰って直ぐに撮影し直してみれば、結局黙ってなどいられずに、松に藤の平薬完成を告げ、そうなれば出来上がりの瑞々しさを出来るだけ早く届けたくて、再入院の前日に荷造りして送ってしまったのです。
病室に喜んで頂いたLINEが届いた時、その感想はつくづく的を得たもので、二重の嬉しさでした。
今2023年3月31日11時02分、手術はもう直ぐになりました。
元気になって、またお目に掛かります。