葉の茂った枝が窓に差し掛かる仕事場の外で、何やらカサカサザワザワと、せわしい音がするのです。
何だろうと鏝当ての目を移せば、ついぞそんなところに来たことなどないのに、沢山の雀が上下左右入れ代わり立ち代わり、小枝に乗ったり降りたり、何をしているのやら忙しそうに動き回っているのでした。
1年を通じ、納屋の屋根に米や小鳥の餌を撒いては、雀や山鳩にあげているのですが、そのまま屋根に撒いても、穀物は傾斜に滑り落ちてしまうので、先ず屋根に水を撒いてから、餌を下から投げあげるのです。
その間雀らは、隣の家の瓦屋根や大きな柊の木に隠れて見ているのですが、私が家の中に消えると直ぐに飛んで来て、ついばみ始めるのです。
多い時は、1度に30羽以上も群がって食べるのですが、1羽が飛び立てば殆どが飛び立ったりと、いつでも忙しない事この上ないながら、今時だと1日に米3合、小鳥の餌も2合ほどは平らげてしまいます。
しかし、どうも私が餌をくれるということは分かっているらしい節があるものですから、ふと仕事場の外にたむろしていたのは、もしかしたら皆でお礼に来てくれたのではないだろうかとか思ったのです。
驚かせないように動きを止め、しばらく窓の外を横目で見ていたのですが、やがて鏝当て作業に戻れば、いつの間にかどこかに飛んで行ってしまっていました。
なかなか、昔話のようにはいきません。(笑)
オリジナル十二ヶ月平薬制作ですが、4月『卯の花に時鳥』、2月『桜に雉』、1月『柳に鶯』(改作)と作り進んだ次に向かったのは、12月の『早梅に鴛鴦(おしどり)』です。
江戸時代の版本である『懸物図鏡』の復元では、12月が、薄紅梅に囲まれてひとつがいの鴛鴦が居並ぶ図案でしたから、少しでもオリジナル性を高めるため、珍しくオスを飛ばせる構図にしたのです。
参考にした鳥類図鑑に、飛んでいるオスの絵があったのが決め手でしたが、それでいて鴛鴦を一度も間近で見た事がない私は、華やかな造形のオスを部分的に描いてくれている図鑑であっても、実は今一つ羽の付き方や形態というものが分からないのです。
復元の際は、最初からオスの木彫彩色にすっかり恐れをなしてしまい、鴛鴦の平薬制作を1番後に残した挙句、結局上村松篁さんの日本画をモデルに木彫彩色したように思います。
ですから今見ると、細部に至るまで日本画的造形のの消化と省略で、木彫彩色が出来上がっているのです。
図鑑を頼みの綱に、とにかく写実的な様相で、飛ぶ鴛鴦を木彫彩色してはみたのですが、所詮見知らぬ土地で、地図もなく訪ねる家を探し出すようなものに終わっています。
『桜に雉』で使った梅の太い幹の残りが、なかなか良い形でしたから、それを輪の上部に左斜めに渡したのを大胆な枝組みとして、華やかな鴛鴦と対照的に、白梅だけを控え目に咲かせてみたのです。
飛んだオスの縮めた足に、絹の水掻きを貼ったり、もがきながらも楽しい制作になりましたが、今はもう5月の平薬『菖蒲に水鶏(くいな)』を作り始めています。
今度の菖蒲は、絹サテンを使った黄菖蒲です。