今年の猛暑の執拗さには、情けないほど打ちのめさせられてしまいました。
山向こうに日の出の兆しが見えると、その光は既に、今日もまた容赦のない酷暑になることを、否応無しに宣言しているのです。
昔の、雨乞いの他にすがるものもない、死を突きつけられた日照りの民をも思わざるを得ないほど、太陽は連日連日、非情に焼け付くばかり。
庭木や、日陰の紫陽花すら枯れ始めさせた陽射しで、9月を目前にした今でも、残暑などとは名ばかりの日照りを、少しも緩めてはくれません。
エアコンを使わないで夏を過ごしてきた私でしたが、今年ばかりはすっかり追い詰められてしまい、何よりも精神衛生上、もういよいよエアコン生活に気持ちを切り替えなければならないと思わされています。
それでいながら、さすがに9月を目の前にすれば、日に日に日の出は遅くなり、日に日に夕暮れも早くなって、確かに光の色はとうに晩夏のそれに変わっているのですし、渡る風に微かな冷たい筋が混じり始めてもいるのです。
庭木に水をやりながらふと気付けば、いつの間にか庭の紫苑(シオン)がちらほらと咲き始めていて、鮮やかに輝く明るい紫色を見せていたのでした。
そんな先日、秋の七草の依頼がありました。
ススキ、女郎花、桔梗、葛、撫子、それに、萩と藤袴の7種で、藤袴はもちろん初めて作るのですが、女郎花同様に厄介極まりないので、1枝だけで良ければという条件で、熱心な依頼を受けたのです。
藤袴は、出来合いの造花材料を使って作ってみましたが、たったの1枝にもかかわらず、250粒を超える量が必要でした。
幸いにも、まぁそれなりに見えたものですから、この方法ならば女郎花も出来るのではないかと直ぐに試作してみたものの、恐るべしは女郎花。柳の下に泥鰌など泳がせてはくれませんでした。
藤原定家の花鳥和歌による十二ヶ月平薬制作は、残り7月、8月の2つになっていましたが、秋の七草制作で、久しぶりに赤い萩を作ったのを機に、ともかく8月の平薬の萩だけでもと作り始めれば、満月を背に雁を飛ばす遠近法の解決策を思い付くなり、いつの間にやら、2羽の雁を木彫り彩色しての平薬制作に入っていました。
7月8月平薬双方の厄介さは、花と鳥の大きさの違いの上に、それぞれの在る位置に殊更距離がありながら、それを直径30cmの輪の中に一緒に収めなくてはならない事にあるとは、前に書いた通りです。
図案に徹した構図による復元の平薬と違い、オリジナルの十二ヶ月平薬は、出来得る限り3次元の遠近を感じさせる物にしたかったので、遠近を平面に当て嵌めてしまう古来の方法も踏まえながら、萩を輪の左手前にまとめ、雁は満月の前に飛ばせる事で、それぞれの距離を醸し出してみたのです。
なかなか上手くなどいってはくれないものの、茂らせた萩に隙間を作ったり、雁の角度を調整することで、何とか萩と雁の間に広い空間が見出せるように仕上がったように思います。
満月を金彩し、それに雁を乗せて逆光を感じたりしているうちに、その昔、会ったこともない人とのメールのやり取りで、言葉遊びのようなことをしたのを思い出していました。
宮古島の海辺近く、廃墟となっていた野外ダンスホールに辛うじて残っていた舞台で、降り注ぐ月の光を『fly me to the moon』の演奏にして、いつかきっと2人で踊りましょうと、約束だけをしたのです。
さて、残りは7月の『女郎花に鵲(カササギ)』のみになりましたが、この組物は復元の十二ヶ月平薬同様、一揃えで残せたら良いのにと願わずにいられません。
叶い難い望みではあるのですが、そうは言うものの、完成してしまえば過去の産物。
また新しい制作に、鬱つを抜かしてゆくだけだと思うのですけれど。