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■ 近頃のこと

2023/10/14

たれにあいみぬ女郎花

今年の夏の異常な日照りのせいなのか、例年ならば9月末には金木犀が満開になり、落花で根元が橙色に染まるのですが、今年は10月を迎えて数日を過ぎても、さっぱり花が見えなかったのです。

庭の奥の大きな木を見に行けば、濃い緑の葉に埋もれて、少しばかりの花が貼りつくようにしか咲いていないのでした。

毎年、晩夏の様相を帯び始めた盆過ぎ頃から、日に日に秋めく9月上旬を盛りに、庭には秋の虫の声がうるさいほどに湧き上がるのですが、9月になろうが暑さも日差しも7、8月のままのようだった今年は、とうとう虫の音など響くこともなく、それが日に日にか細くなる風情すら、あたかも季節からすっぽり削除されたかのようだったのです。

猛暑に生まれ得なかったのか、生まれても育つことが出来なかったのか、何れにせよ失われた季節に埋もれざるを得なかった虫達が哀れでならないのです。

数日前、古い友人の奥さんが、人工透析の苦しみに耐え兼ねた決断で受けた腎臓移植の失敗で、度重なる手術に数ヶ月も苦しまれた挙句、あるかないかの意識の状態で病院を追われ、在宅介護を余儀なくされたひと月後、突然の発熱から呆気なく息を引き取られたと連絡がありました。

かつて、彼らの結婚披露宴に招かれたのでしたが、あれほど美しい日本髪の花嫁は、後にも先にも見た事がありません。

身長差が30数cmという新郎新婦でしたから、羽織袴の新郎に寄り添って歩く様は、宝物が包み込まれるように見えたものです。

その数ヶ月前、改めてプロポーズする必要もなかったのですが、その指輪を銀座に買いに行きたいのだけれど、自分は宝石など分からないから、一緒に行って貰えないだろうかと言われたのです。

勿論、小さな粒のダイヤだったのですが、それをどう渡したら良いかとまた相談されたので、彼女を送ってゆく途中の夜の公園で、とにかく高い街灯の下に誘い、そこで指輪の箱を開けて少し揺らしたならば、あたかも舞台照明に鋭い光を放つ、ソプラノ歌手のイヤリングのように、小さなダイヤほどその光は彼女の目を射るのではないかと、まるで脚本のような提案をしたら、その通りに上手く運んで、彼女は感激に泣き出してしまったと報告を受けたのでした。

どうしたことか、結婚前から2人には度重なる不運が続き、それを2人で乗り越え、また乗り越えて来た挙句の決定的な不幸でしたから、目も当てられない思いで言葉も出ず、直ぐには返信も出来なかったのです。

『死』

私は常々、『死』は『解放』であり、『あの世』などあってはならないと考えているのです。

『あの世』なるものがあって、『この世』が引き継がれるのであるのならば、あたかも負の遺産を強制的に相続させられるように、死して尚この世の苦悩を、苦痛を、不幸までを引き摺らなければなりません。

理不尽極まりなく、不幸を、不運を負わされた、負わなければならなかった者ほど、そうであってはならないでしょう。

ですから、死者はこの世に在った全てをご破算にして、新しい世界に、新しい可能性に旅立てるのだと、葬儀はその門出として、残る者が背中を押すべき時ではないかと思うのです。

そうした意味で、死は祝福に値するものでなければとすら考えるのです。

全ての『死』がそれに値するとなど、決して思うものではありませんけれど、あらゆる苦しみから解き放されて、今度こそ不運などに縁もない世界に向かえた時であれと祈らずにいられなかった訃報なのでした。

黄色の造花材料を取り寄せ、藤袴を作ったのと同じ手法で、女郎花作りに再々再々挑戦してみたのですが、粒が大き過ぎること、パールとかいう安っぽい黄色であったことから、どうにも女郎花の風情が出ません。

秋ならでたれにあひみぬをみなえし
 契やおきし星合の空

ながき夜にはねをならぶる契とて
 秋待ちたえる鵲のはし

橋の欄干を加えてみましたが、カササギは未だ止まる場所も定まらず、出来上がっていながら姿を見せられないままなのです。

パーツ

未完平薬

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