8月半ば、秋の七草制作のために、初めて作ってみた藤袴(ふじばかま)でしたが、以前から庭に群生する藤袴の美しさには、目を見張っていたのです。
いつかは藤袴の平薬を作れたならと、折につけ思い続けて来た一昨年、柴田是真の天井画図案に、集合する小さな花の1つずつを、房を逆さまにしたように描いてあるのを見たのです。
そんな風に花を仕立てたならば、藤袴を作れるかもしれないと、1度は制作を思い立ったのでしたが、小さな花の一つずつを房に仕立てるとなると、その数からしても容易ではないし、1花が大きくなり過ぎるだろうとの懸念も強くあって、サッサと頓挫したのでした。
秋の七草の制作依頼が入ったのは、8月に入って直ぐだったでしょうか、それを引き受けるというのは、何としても藤袴を作り上げなければならないという事なのですが、その頃庭の藤袴はまだ固めの蕾の状態で、これならば手に入っていた紅梅の蕾にしたりする造花材料を使って、何とか出来そうに思えたのです。
その造花材料は、パールとかいうマニキュアのような色でしたし、更に藤袴の花や蕾とするには、少し色が濃過ぎたのです。
しかし、もはや望み通りの材料を手にするなど叶わなくなって久しく、有る物で何とかしなければならないのが現実なのですから、ともかくそれを使って仕立ててみれば、幸い下品に陥ることなく出来上がって、胸を撫で下ろしたのでした。
サッサと納品しては、何れにせよこれが最初で最後の藤袴制作になるのだろうと思っていたのも束の間、HPに載せた画像を見た方から、藤袴をひと枝是非作っては貰えないだろうかという依頼が舞い込んだのです。
その時点での庭の藤袴は、少し花開いて糸のような蕊(しべ)を飛び立たせ始めていましたから、今度は梅やら桜やらの雄蕊にする材料を、所々一緒に束ねさせて作りました。
それを納品して直ぐに、今度は平薬の制作依頼が入ったのです。何と8ヶ月ぶりの平薬依頼でした。
横浜の展覧会で、私の有職造花を見て下さった方からでしたが、松に梅の平薬をと仰るのです。題材からして、随分な玄人好みに思いましたから、ならば梅は白梅だけでと即座に決めました。
松に見立てる梅の古木に、とても良い曲がりの物があったのを幸いに老松に仕立て、ゴテゴテさせないように松と白梅を植え付け、より日本画のように彩色して、絵から抜け出したような木彫りの鶯を止まらせて完成としました。
しかし、その時の依頼は平薬ばかりではなかったのです。
桜、菖蒲、紅葉など、8種類ほどの小枝を作って欲しいというのもあって、何とそこにまた藤袴が含まれていたのです。
面白いことも起きるものだと思いました。
その頃庭の藤袴といったら更に開花していて、一面に白い蕊をフサフサと茂らせるまでになっていましたから、そんな訳で3本目の藤袴は、殆どの花に蕊を混ぜ括ったのです。
8月中旬、10月中旬、11月上旬と、図らずも藤袴に移った季節を写した制作になったのですが、実物を確かめられてこその制作に、如何に様式化されてなんぼの有職造花であろうと、一にも二にも写生に尽きる事を、改めて思い知ったのです。