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■ 近頃のこと

2023/11/28

枯れ蓮に帰る

ちょうど10年前の12月に、『凍日』と題した平薬を作ったのでしたが、それは枯れた蓮の葉と百舌鳥ばかりの荒涼とした雪景色で、飾り物である平薬として異色なものでした。

ずっと以前から、無惨に折れ曲がった夥しい数の蓮の枯れ茎やら、その先に所々残るぼろ布のように垂れた葉やら、蜂の巣のような花芯の残骸ばかりになった蓮田の光景が、私には何故か心惹かれる厳冬の風情でしたから、それを平薬にしたのは、単に欲求を叶えただけの事に過ぎなかったのです。

私には、その題材が有職造花らしからぬとかいう戸惑いなどまるでなく、節句の桜橘やらを主に作られている造花屋さんから、そんなものを作ろうとする気が知れないと言われましたが、それは売るために作る方の感覚だろうと思うばかりなのでした。

『凍日』を作ったのが2013/12で、その前月に酒井抱一の絵を題材にした 『霜夜の月』を作っていたのですが、それは枯れ葦に僅かな残菊と蔦、それに1羽きりの白鷺という平薬で、その成功に気を良くしての事でもありました。

その翌月、冬を越して乾燥しきったススキに菫(すみれ)とホオジロを組み合わせて、春浅い陽だまりの光景を平薬にした『初菫』を作るのですが、図らずもリアルタイムでの晩秋→厳冬→早春との季節の移り変わりに合う制作になったのです。

この3つの平薬は、プッチーニのオペラ『外套』『修道女アンジェリカ』『ジャンニ・スキッキ』をTrittico(三部作)と呼ぶのを真似て、私の三部作と名付けているほどお気に入りなのは、今に至るまで変わらずにいます。

もちろん、3作とも手放さずにいたのですが、先ず『霜夜の月』が友人に請われ、彼に渡るのならと手を離れた次に、こればかりは望まれることもないだろうと思っていた『凍日』を欲しいと声が掛かった時、もう『三部作』への愛着と決別しなくてはならない時が来たのではないかと思いました。それで手放したのです。

ホームページに『近頃のこと』を書き始めたのは2014年2月からでしたが、奇しくもその1回目に取り上げたのが、この『凍日』でした。

やはり10年という歳月は、人のサイクルに特別な意味を持つのでしょう。その10年目になるつい先日、たまたまコピーやらの参考資料を整理していて、すっかり忘れていたオークションカタログを剥ぎ取った1枚に巡り会えば、そこに枯れ蓮の絵があったのです。

Google検索では出て来もしない、藤田松僊という画家の作だという月並図の11月なのですが、竹内栖鳳を思わせるような、切れ味の良い達者な描きぶりに感心しているうちに、これを平薬にしてみたいと思い始めたのです。

葉裏にする絹を慎重に染め、描かれた葉の趣を叶えるために20本もの葉脈を束ね、傘を閉じるように形作ってから、根元を膨らませ、内外に折り畳み、穴を開けて蓮の破れ葉に仕立て、たった1本だけの干からびた花芯を木彫り彩色して、先ずは絵の通り配置した平薬にしたのです。

しかし、縦長の絵ならでは空間が平薬では取れませんから、どうしても構成に無理が生じ、風情にも至りません。結局苦肉の策で、もう1枚の破れ葉と花芯を補ったのでした。

全体が限定された暗い色調であるからこそ、そこに僅かに明るい色彩を投じたなら、殊更輝いて見えるだろうとの目論見から、絵に描かれている鳥は、真冬の野鳥の中から、鮮やかな山吹色の羽が覗くジョウビタキを選びました。

決して出来が良い訳でもないながら、奇しくも10年目にして再び作ることになった枯れ蓮の平薬には、過ぎた年月の積み重ねにより、どことなく専門性が深められて見えるのは、所詮身贔屓というものでしょうか。

更に今、10年前とまるで同じように、これに雪を降らせるか、このままにするかを悩んでいます。
『冬の平薬』に載る時、その結論をお見せ出来るでしょう。

凍日の平薬

水墨画

枯れ蓮の葉

新作平薬

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