私は荷物を持ち歩くのが苦手で、出来るならばいつも何も持たずにいたいとすら思うものですから、旅行に行っても土産など殆ど買いません。
頻繁に宮古島に通っていた頃でも、荷物など預けたりしないで、サッサと羽田からの帰路につけるよう、手荷物だけに工面したものでしたが、さぁ飛行機に向かおうとした時、何十本も実をつけた大きなバナナの房を抱えて駆け込んできた知人が、間に合ってよかった!!という笑顔でお土産に手渡された時には、申し訳ないけれど唖然として恨めしかったものでした。
さて、この『近頃のこと』へのエッセイでも、雛展図録のために依頼された8000字近い文章でも、全てスマホで打っているのですが、タブレットなるものがあれば、間違いなく便利だろうとは思いながら、あんな大きな塊を持ち歩くことの面倒さを思うだけで、使う気にはなれないのです。
電車やバス移動による、手持ち無沙汰な時間でも、ひたすら文章を打って過ごせば、あっという間に降りる駅に着いてしまうものですから、ポケットから取り出すなり文章を打てるスマホは、これほど様々に役立ちながら、荷物にもならない物など他には無いだろうとすら思います。
そのスマホが、近頃とみに、あまりに誤変換やら誤った単語候補の選択やらばかりになるので、スマホでの文章作成に何だかほとほと嫌気がさしてしまい、とうとう2月のエッセイに穴をあけてしまいました。
もう3、4年も前のことになるのでしょうけれど、スマホが思うように反応してくれずに、誤変換と誤選択が繰り返されてばかりなのに辟易し始めた時、私はその要因を、丁度機種変したスマホの問題とばかり思って憤懣やるかたなくていたのです。
それが、NHKの『チコちゃんに叱られる』でスマホが取り上げられた時、スマホというのは、指先が画面に触れる時、僅かな感電をする事で反応するのだそうで、老化した皮膚だとその感電が起きにくくなるのだと聞くなり、そうだったのか⋯と穴があったら入りたい気持ちにさせられたのでした。
更に近頃、あまりと言えばあまりにも思うように反応してくれなくなって、それが自分のせいだと思えば思うほど何だか情けなくて、文章書きからすっかり遠ざかってしまったのです。
遠ざかったのには他にも要因があって、とにかく出不精がいよいよ極まっていて、電車に乗る機会を持たなかったことにもあります。
時折雀などの野鳥のために屋根やら庭に餌を撒きに出るだけで、外の寒さをガラス越しに、ファンヒーターの温みの中で猫の寝顔を見ながらYoutubeを耳に流し、ひたすら指を動かしてさえいれば、充実した至福の時だけで居られるのです。
さてその、何物にも替えがたい至福の時を、このところは花桶に活ける燕子花(かきつばた)と端午の節句の銚子飾り制作で過ごしていました。
一際濃い紫に染めた燕子花は、色が違うだけで、造形そのものは菖蒲作りと同じなのですから、何を難儀にするわけでもないのですが、銚子飾りは菖蒲とヨモギでとのご依頼なのでした。
扇を半開きさせたように菖蒲の葉を広げ、ヨモギを扇の要の位置に置くなど、ありふれて何の面白みも工夫も薄れて思うだけですから、さてどんなものにしようかと考えている内に、正式な若松が根引きであるのと同じに、菖蒲もまた根引きが用いられたらしいことを思い出したのです。
十二単のような平安装束には、襲の色目(かさねのいろめ)という、儀式や季節によって装束の色の組み合わせに決まりがあるのですが、端午の節句の頃の襲(かさね)に『菖蒲襲』というのがあります。
例えば『松の雪』という襲は、表が白、裏が緑なのですが、それは常緑の松の上に積もった雪の光景を表すというように、自然の景物を纏うのです。
菖蒲が咲いている様を表すのが『菖蒲襲』ならば、表を花の紫、裏を葉の緑にするのかと思えば、表を緑に、裏を赤にしているのは、瑞々しい菖蒲葉の根元が赤く染まっているのに目を止めての色目で、それこそ繊細極まりない当時の都人の感性そのものに思えてしまいます。
早速根を木彫り彩色しては数本のひげ根を生やし、それに葉を植えた菖蒲には、若葉を先端にしたヨモギを加えて、菖蒲の葉を風のように流して構成してみました。
これらは菖蒲兜に添えて飾るのだとのお話でしたが、更に両脇には、刃の部分を沢瀉(オモダカ)で見立てさせた桙(ほこ)まで置かれたのです。
一足早く吹き渡る、五月の薫風です。