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■ 近頃のこと

2024/04/03

筍と雀の平薬を作る

そもそも私は雀が大好きで、野に食べ物の無くなって来る11月半ば頃から、毎日朝昼夕と玄米や小鳥の餌を、1日に5合近くも納屋の屋根に撒いているのです。

それをカラスのクソったれが、小鳥を蹴散らしては横取りしに来るのですが、コツコツとトタン屋根にくちばしの当たる時の音がまるで違うので、1日に何度も庭に飛び出しているのです。

雀達といったら、片時も警戒を緩めることも出来ず、僅かな気配や物音やらに怯えながら、降りては飛び、飛んでは降りるという忙しない繰り返しで啄む姿を目にする度に、何とか冬を生き延びさせたいという気持ちが湧き上がって、せっせせっせと花咲か爺ならぬ、米撒き爺をしているというわけなのです。

そんな私ですから、雀の登場する平薬だけでも、山桜の木の間を遊ぶ雀をモチーフにした『山桜に雀』と、瓦屋根に風に運ばれた桜の花びらと雀を組み合わせた『落花』の2つを作っています。

だからというのでは全くないのですが、4年程前伊達政宗ゆかりの施設に、官女の小道具として、竹林に口開き口閉じ2羽の雀のいる嶋台を作って納めたことがあったのです。

その顛末は、2020/6/6の『近頃のこと』に書いていますが、何故そんな嶋台なのかといえば、伊達政宗の紋所というのが『竹に雀』で、太い竹2本を両側に丸めて丸紋のようにし、その中に2羽の雀を阿吽のように向かい合わせたものですから、どうせならそれに因んだ嶋台にしようとのプランなのでした。

昨年6月、同じ所に納めるのだけれど、今度は松竹梅のそれぞれに雀を組み合わせた嶋台を作って欲しいという依頼があったのです。

その経緯もまた、2023/6/14の『近頃のこと』に書いているのですが、松葉、笹の葉、梅古木という珍しい松竹梅にした『竹』は、敷き詰めた笹の葉の上に2羽の雀が遊ぶ嶋台にしたものの、そこに筍の頭を出させればよかった⋯と、ずっと心残りと悔いを消せずにいたのです。

いつの間にやら5ヶ月も平薬制作から遠ざかっていた先日、どうでも少し伸びた筍と、まだ小さな筍が並ぶ平薬を作りたくなってしまったのです。

筍を有職造花で作るのは初めてでしたが、折も折、まさに思い描いていたような2本の筍が竹林に立った自撮りの写真を送って下さった方があり、筍制作に目安が付いたものですから、直ぐに筍のある平薬の制作に取り掛かれたのでした。

平薬の構成プランは、ポーズの違う5羽の雀が、筍の見える竹林に遊ぶという光景です。

雀を木彫りし、繰り返し彩色していたり、手慣れた竹を余分に作っている頭の中で、筍の皮は薄めの茶に染めた生地に焦げ茶の染料を後刺ししよう、瑞々しい先端の芽はあの生地を使い、それには別の鏝当てを施してから、部分的に焦げ茶が染まった葉の先端に貼り付ければ良いなどと、いつものように頭の中のシミュレーションを繰り返したのです。

自撮りされた筍の写真には、ネットで出てくる画像では分からない所が写し出されていましたから、正しくそのおかげで筍は難なく出来上がったのでしたが、その時には既に、直径30cmの籐の輪の中に、すっかり竹も茂り雀も配置されて、後は筍を植えれば良いだけになっていました。

なかなか配置が難しかったものの、筍を植え付けてから2色に染めた数十枚の枯笹を散らし、ピンセットで竹の葉の角度を微調整して、完成に漕ぎ着けることが出来たのでした。

さて筍といえば、その煮物は蕗の茎の煮物と同時に、母の思い出の味なのです。

どうも認知症が深刻になり始めた頃、その2つの煮物の味だけは受け継いでおかなければと切羽詰まった思いで、母に目の前で蕗の煮物と筍の煮物を作ってもらった事があったのです。

私が受け継いでも、私が目を瞑る時に消え失せるだけなのですが、今でも母の味は私に残されていて、その季節に食卓を飾ります。

平薬

筍

雀

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