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■ 近頃のこと

2024/05/31

雲井の鶴

それにしても、とりわけ雨に烟る今の季節の緑はどうでしょう!どこをどう切り取っても、1年の内で最も瑞々しく美しく、またその情緒といったら。

庭の隅にある、金魚を入れた大きな水槽に、昨年の夏に浮かべたホテイ草が、冬の寒さで茶色に枯れたままでいたのですが、どうしたわけかその一つが冬を越したのです。

一つといっても、一株の中のほんの一部が生き延びたのでしょうけれど、真冬には表面が凍る水槽ですから、もちろん未だかつて、ホテイ草が外の水槽で越冬したことなど無かったのです。

春めいてきた頃、腐ったように浮いているホテイ草の一つに、ほんの少しの鮮やかな黄緑が見えたのですが、ビニールか何かの破片でもくっついているのだろうと、確かめもしないでいたら、やはり厳冬を遣り過して生き延びていたのでした。

今や黄緑色も鮮やかに育ち始め、まるで雨蛙の腹のように膨れて来ている向こうの裏山からは、毎朝鶯の鳴き競うのが聞こえて来ます。

『ホーーー、ケキョケキョ』『ホ、ホ、ホ、ホ、ケキョケキョ』と、どうしたわけか『ケキョ』を必ず2回繰り返すのです。

随分澄んだ歌声になってきたと、惚れ惚れ聴いていれば、突然深山の滝にでも響き渡るように、ホトトギスまで大きな声で鳴き始めるのです。

納屋の屋根には、たっぷり撒いた玄米に沢山の雀がやって来て、トタン屋根まで啄んでカツカツと硬い音が喧しいのですが、ほんの少しの気配にも敏感に怖れ飛び立つ雀なのに、自分の立てる音にはまるで無頓着なのが、雀好きにはこたえられません。

紙包みを専門にされる方から、『雲井の鶴』というカキツバタを一輪作ってほしいと依頼があったのです。

私はまるでそれを知りませんでしたが、何でも光格天皇(1771(明和8)〜1840(天保11))とやらのゆかりの勅花なのだそうです。

幾枚もの写真を送って頂きましたが、細くすぼまった花弁の先端がくるりと内側に丸まって、菖蒲のように花弁が垂れずに横水平に咲くその姿が、空に飛びゆく鶴のようだというので、その名が授けられたのだとか。

しかし写真というのは、実物がそのまま写されているには違いなくとも、遠近感がなく立体を見せてくれませんから、造形の参考とするには肝心なところが分からないものなのです。

ともかく作り始めてみれば、鏝当てでは花弁の先端のような細い所を、内側にくるりと丸める造形は叶いませんので、花弁の先端に細い針金を2本横に渡し、それを隠すため上から和紙を貼り、それからピンセットで内側に丸めてみました。

有職造花は、花の標本を作る訳でも目指す訳でもはありませんし、あくまでも自然の成り立ちを踏まえながら、その上で様式化された飾り物としての造形に消化しなければなりません。

そうであるほど、実物を見たことがないのが致命的で、自分では出来の良し悪しの判断がつかないのです。

曲線を強調してみたり、画一化すらさせた鏝当てで、ああでもないこうでもないと、結局花だけでも12回の試行錯誤の末、何とか有職造花での『雲井の鶴』はこんな風ではないかと仕上がった時、突然『雲井の鶴』平薬のプランが浮かんだのでした。

平薬の輪の中に屋敷の高欄を造り、その手前に今を盛りに咲く『雲井の鶴』を植え、高欄に天皇の普段着である御引き直衣(おひきのうし)と緋の袴の生地を垂らす事で、光格天皇との縁を匂わすのです。

京都の門跡である大聖寺は、『雲井の鶴』の名所のよし、大聖寺に縁のある京都の知人が、私が『雲井の鶴』に挑戦している事を知るなり、常々有職造花で『雲井の鶴』が出来ないかと願っていたのだと、いきなり電話して来て言われたのです。

来年は一緒に見物に行こうという嬉しい誘いを耳にしながら、その実現は容易だろうけれど、平薬まで完成させたこれからに、この花をもう一度作ることなどあるのだろうかと思っていたのでした。

本物の花

有職造花

平薬

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